2008年11月30日日曜日

山梨県にてリーダー養成講習会開催と富士山


 昨日と本日、JVA公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会の講師として派遣された。山梨県での講習会は今回で3回目だ。県連盟の理事長は、3年前に2代目の故鶴田さんの後を引き受けられた3代目の穂坂さんという59歳の有能な行政マンである。私は今まで穂坂さんという方とほとんど面識はなかったが、この2日間で数年来の知己の如く相互理解が進んだ。
 昨夜の夕食会では、来週末から私が訪問する小笠原諸島の話で盛り上がった。実は、穂坂さんが勤務している南アルプス市(旧櫛形町など合併して数年前にできた市)と小笠原村(父島と母島)とは友好関係にあり、毎年小学生たちが互いに訪問し合っているということだ。穂坂さんは教育委員会に在籍していたこともあり、その当時団長格で小笠原村を訪問したという。
 さて、講習会の会場は、県立富士北稜高等学校。校長室を講師控室にさせて頂いた。校長室の大きな窓ガラスを通して日本一の雄大なあの富士山が、まるで額縁の中に入っているかのように見えるではないか。校長の山田先生から「渡邉さん、明日の朝の方がもっと良いですよ」と教えていただいた。
 そして、今朝、気温8度の透明感溢れる空気の中に富士山を見た。雪化粧された山頂までジグザグした登山がすぐそこに見える。視界が開けるとはこのことか。急に視力がよくなったような不思議な感覚であった。
 海も山も良い。雄大な自然に包まれていると、仕事上の悩みなんか小さな些細なことのように思えてくる。仕事で上手く行っていない時は、嫌な仕事、得意でない仕事、つまらない仕事などを後回しにすることでミスの原因を作っていることに気付く。心が疲れていると、行動が億劫になってしまうのだろう。
 明日から12月がスタートする。明日からは、富士山のように堂々とした心構えで、嫌な仕事、不得意な仕事から取り掛かろう。
 日日是好日(にちにち、これこうにち)
(画像は会場の高校玄関口から仰ぎ見た富士山の美しい姿)
 

2008年11月27日木曜日

USA女子バレー郎平監督の退任

 本日の各紙に小さくではあるが、北京五輪で米国女子を銀メダルに導いた郎平(ランピン:日本語読みでは、ろうへい)さんの退任がAP電で報じられた。契約延長はせず、今後は家族との時間を優先するという。
 彼女は1980年代の女子バレー界を代表する名選手であった。1984年のロス五輪とその前後の世界選手権、ワールドカップで金メダル4冠を獲得している。その後、母国である中国女子の監督に就任しアトランタ五輪で銀メダル獲得という指導者でも優れた業績を残した。指導者の学習を更に追及するため今度はプロバレーの本場であるイタリアのセリエAのチームで指揮を取る。そして2004年から米国に渡り女子チームの監督に就任し北京での2回目の銀メダリスト監督となる。
 彼女のプレーヤーとしての実績、そして指導者としての実績は素晴らしいものである。その原動力はどこから来ているのか。彼女を支えてきた家族とはどんな家族なのか。男性でも難しいスポーツの指導の現場に、国を越えて、何がここまで彼女を牽引してきたのか、そのうち明らかになるであろうが、是非とも心の内の一幕を知りたい。
 我が国でも女性の指導者がスポーツの現場で活躍している場面が多くなってきた。私は基本的に女性の指導には女性も携わるべきと考えている。特にトレーナーやマッサーは直接身体に触れたりコミュニケーションをする場合が多い。トレーナーやマッサーは身体的にはきつい仕事であるが、女性の更なる進出を期待したい。
監督やコーチにも女性の視点が必要だ。女性ならではの心身の悩みは多い。コーチングスタッフの現場に夫婦生活・育児を経験した生活者の視点を持つ元オリンピック選手をアドバイザーなどで招聘することも考える時期にきているのではないか。
 近い時期に、ランピンさんを日本にお招きし、コーチ研修会など開催したいですね。ランピンさん、お疲れ様でした。

2008年11月26日水曜日

来年の島しょソフトバレー交流大会、小笠原村にて開催検討




 今月の15日に開催した東京都の島々を巡るソフトバレーの交流大会は、いよいよ小笠原諸島で開催される気運が高まってきた。今まで開催した大島、新島、神津島の人たちもほとんど行ったことのない同じ東京都の島である父島と母島での開催が決まりそうだとの連絡が来た。緯度がほぼ沖縄と同じなのでこの時期でも23度ほどで温暖だ。2年前に東京から1,000km離れた小笠原に船で25時間かけて訪問したとき、沖縄とも違う南国を感じた。神秘的な森、コバルトブルーに輝く太平洋、イルカや鯨との遭遇、まさに自然の楽園が残っている。そして驚いたことに島内ではバレーボールが盛んだ。出生率も高い。まさに、百聞は一見の価値あり。小笠原の食べ物も良い。人々も良い。子供たちのフラダンスも良い。そして、不便だから良い。
 一生に1回しか行けなかったと思った小笠原であったが、来週の土曜日から翌週の木曜日まで(財)東京都スポーツ文化事業団からバレーボールの指導で派遣される。同行者は、前回も誘われた岩本洋先生だ。今回は少し事前学習して行きたい。来年も行くようになるであろうが、村長さん他、漁業長や体育協会会長、建設会社支社長の皆さんに再会できると思うと楽しみだ。教育委員会の皆さんにも会える。島レモンの焼酎も飲める。来年の交流大会は、一人での参加を大いに奨励し、現地でチームを作る方式にしたいと思う。


(画像は、すぐ間近で見れるイルカの乱舞と小笠原諸島の父島までの航路)

2008年11月24日月曜日

修論そして修論・・・

 本日も休日で朝9時まで久しぶりによく寝た。昨日のブログを少し手直しして、今日はこれから茗荷谷の大学院に行き、先週神津島で調査したアンケートの集計結果をパソコンのエクセル表にて整理し、単純集計とクロス集計する作業を行ってくる。そのあと、比率や平均値を計算しグラフを作る「加工」という作業がある。最後に加工した結果を解釈していく。加工と解釈があって、はじめて「データを分析」したことになる。最終的には、ほかの聞き取り(ヒアリング)調査や資料・文献・先行論文調査が揃って、論考していく順番となる。
 「根拠」「独創性(独自の視点)」「論理性」の3つのポイントが論文には必要といわれる。私の修論は、「特定課題論文」といわれる、まさに今従事しているイベントやプロモーション事業を客観的に調査・研究していく論文の類である。すでに良くわかっていることより、「なぜこうなっているのか、なぜこのようにならないのか」「うまくいかない原因は」「うまく行きそうな兆しは」などと、他の人が取り組んでいないことをやっているのだが、これも気性のせいかな、と考えている。
 今日は考えるより、データの整理の日。その作業の中から「考えの視界」が開けてくることを期待しながら、学校に行ってきます。
 

2008年11月23日日曜日

千葉県ソフトバレーボール連盟の役員退任

 本日は、千葉県船橋市にて千葉県ソフトバレーボール選手権大会兼関東大会予選会が開催された。私も今年度初めて選手として参加した。種別はシルバー(50歳と60歳以上の男女混合)の部。この種別には、10チーム参加して我がチームは3位であった。2位のチームまでが関東大会出場権を獲得できる。私が40歳代のころは毎年のように関東大会に出場していたのであるが、ここのところ予選会と講習会講師が重なっていたりで出る機会がなかった。千葉県の規定で3年連続関東には出場できない。なるべく多くのチームに関東大会に行っていただきたいという考え方だ。今回2位になったチームがその規定に引っ掛かり、3位の我がチームが繰り上げ出場となった。関東大会は、2月15日茨城県の笠松運動公園にて開催だ。久しぶりに関東の仲間たちと会えるのが楽しみだ。
 我がチームの戦いぶりには反省点がある。いつもは必ずセット毎にメンバーを全員代えていたが、今回は、ほぼ特定のメンバーで固めて「勝ち」に行ってしまった。メンバーは同じ会費を払っている仲間である。試合にも公平に出るべき、というのが総監督である私の持論であるのに今回はそうしなかった。実は久しぶりの関東大会にチームの仲間を連れていきたかったのが理由であるが、試合にほとんど出れなかったメンバーには勝ち負けなど関係なくゲームを楽しみ勝ったに違いない。準決勝で敗退後、私はメンバーに謝罪し、今後は以前のように全員必ず1セット通しで出るようにやっていく旨話をした。
 さて、大会後に県連盟の理事会が開催され、その席で私は理事の退任を表明した。かれこれ18年間、役員活動をさせていただき、ここ8年間は東京都ソフトバレー連盟の再創設・活動と2つの連盟の運営に携わってきたが、来年の4月からはソフトバレーは東京都連盟に絞って活動する。千葉県連盟に登録していただいている愛好者の方たちはまだこのことを知らないであろうが、少し後ろ髪を引かれる思いだ。会長も退任を表明した。今後の千葉県は新たな会長と新たな理事の方々で連盟を運営していくことになる。「役員とは人の役に立つ人のこと」私が講習会で好んで使う言葉だ。役員の方たちにお願いしたい。「どうせボランティア役員だから、そんなに真剣にやることはないよ」などと言って欲しくない。「ボランティアだからこそ真剣にやろう」という若干の使命感を抱いて欲しい。今朝の開会式に集まった千葉県の仲間の愛好者たち約300名を前にして、「こんなにたくさん集まってくれる仲間がいる。ありがたい」と初めて感じた。この方たちにもっと喜んでもらえるには、何をどうしたらよいのか、もっともっと考えていきたい。
 私が唯一千葉県連盟で力を注いだのが「審判員の資質向上」。この18年間で、仕事柄、私は多くの国際審判員やA級審判員に一から審判技術を教えていただく機会に恵まれ、それを今度は受講者にどう伝えるか、自分なりに多くの工夫をしてきたものだ。40歳代が一番エネルギーがある時期であった。仲間にも恵まれた。
 さあ、さっそく今晩から2月の関東大会を目指してのトレーニングに入る。まず、現在毎日行っているスクワットの回数を増やすことから始めよう。回数はないしょである。そんなに驚くほどの数字ではないですから。

2008年11月22日土曜日

休日は・・・

 本日は3週間ぶりの休日。何も考えずボーっとしているのも明日の活力になる。昨夜は2週間ぶりに我がママさんチームの練習にいった。最近の試合で好成績を納めてきたが、どうもその自信が過信になりつつあるようだ。昨夜は入会希望者が見学に来ていたので、皆溌剌たる良いところを見せてくれよと願っていたのだが、後半の集中力がなく元の木阿弥に戻ったよう。このままでは、集中力がないままの悪しき練習の習慣が身についてしまうし、怪我人が出る恐れもあると判断し、練習途中であったが「こんな練習やっていられん。止めや!止め!」と練習を止めさせた。そばで見学していた入会希望者は、そんなチームにどんな印象を持ったんだろうか。いつもの小料理屋での反省会のときに監督にそっと聞いてみた。「入会するようですよ、あの方」という返事で、まずは一安心。ありのままの練習風景を見ていただいたのが良かったのかな。
 それにしても、うちのママさん達には欲を出してほしい。もっと上手になりたい、という欲を出してほしい。「知足」(ちそく:足るを知る)という禅語があるが、ママさん達に贈りたい言葉は私の造語であるが「不知足」。つまり「足るを知らず」(満足しない)ということである。
 しかし、同じことを毎回注意したり、繰り返したりすることが指導者の仕事であるので、こんなことで呆れたり、落胆したり、失望したり・・・は、しない。3歩進んで2歩下がる。そんな牛歩の進み方で粘り強く指導していかねばならない。ママさん達も下手になりたいとは思ってはいない。指導者には忍耐力が選手の2倍も3倍も必要なのだから。
 今朝、神奈川県ソフトバレーボール連盟から弔文がFAXで届いた。神奈川県ソフトバレー連盟の前理事長であった池田福一氏が逝去した。享年72歳。脳内出血と聞いた。高校バレー界の名門藤沢商業高校のOBで長身を生かした攻撃には目を見張るものがあった。タバコが好きで、話が好きで、バレーボールが大好きで、神奈川県ソフトバレーボール連盟発足当時は大変ご苦労をされていた。ご冥福をお祈りします。合掌。

2008年11月21日金曜日

都道府県ソフトバレーボール連盟の役割とは


 神津島で再会した関東のある県連盟役員のO(オー)さんから、登録制度が上手く行っていない旨の相談を受けました。以下に私からのまとまりのない拙い励ましのメールを紹介させて頂きます。何らかの参考になれば幸いです。
 なお、来週末は山梨県にて日本協会主催の「日本バレーボール協会公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会」が富士吉田にて開催されます。講師として頑張ってきます。 

O(オー) 様
  登録制度を推進していくということは、協会・連盟・登録者(団体)の3者にメリットがあるからですね。相互にWIN・WIN・WINの関係、利得関係があるから登録制度が推進していくわけです。
日本協会に欠けている視点は「登録者の誇りや夢・希望」です。
日本協会にとってのメリット、日本ソフトバレーボール連盟にとってのメリット、愛好者(団体)にとってのメリットだけでなく、大事なのは「登録する愛好者の誇り、プライド・夢・希望」に訴えることが必要です。
 アメリカ合衆国の新大統領オバマの登場は多くの示唆やヒントを我々に与えてくれます。
日本協会や日本連盟がやっていなくとも、あなたの県連盟発のプロモーション(普及)策が考えられます。例えば、アマチュア写真家団体とのコラボでの「スポーツ写真コンテストと即売会」などいかがですか?自分の勇壮なプレーの瞬間をセミプロに撮っていただく、写真家達も腕を磨ける、これもWin-winの発想です。
また、障がい者と一緒の交流会開催。誰でもが障がいを持つ可能性を持っています。先天的に、不意の事故で、加齢で・・・。
まだ、大きな障がいを持っていない人が障がいを持っている人たちと助け合ってゲームをするのは相互扶助の精神で当たり前です。
そのような活動が、少しずつ地域の形成に役立っていきます。
下肢障害の方とはネットを1mの高さにしてシッティングバレーができます。精神障がい者の方たちとはルールを更に簡略して4人制でのソフトバレーができます。そのようなことができるのは行政・体協・教育委員会・福祉団体・協会などとネットワークを持っている連盟ならではの事業です。そのようなことをやるれることが社会貢献であり、連盟の価値でもあるわけです。ただ単に「楽しいソフトバレー交流大会」を催しているだけでは、地域のクラブの主催大会と変わりありません。いや、地域のクラブのほうが規制も無く、楽しい交流大会を開催しているかもしれません。
 あなたの県連盟の「価値・魅力」は何なのか、どう作るのか、そしてそれをどう伝えるのか。
市中を見ると安いから売れる物だけでなく、高くとも売れる物もあります。
それは「価値(ヴァリュー)」です。
 最後に、おやじギャグですが、「勝ち」を目指すだけでなく「価値」も目指しましょう。
(画像は花屋のフーちゃんから送られてきたものです。新宿を歩いていて目についたようです。都庁と紅葉した並木のアングルが良いですね。素晴らしい構図センスです。なお神津島は「こうづしま」と読みます。神津と構図を掛けてみました。またまたおやじギャグですみません・・・」
 

島しょフトバレーボール交流大会in神津島







 お早うございます。この3日間、会社の業務で展示会をやっていました。ディーラーのお客様に対する新製品の紹介という立ち仕事なので疲れた。
 さて、先週末の15日は神津島にて「第4回の東京諸島(伊豆諸島・小笠原諸島)を巡るソフトバレーボール交流大会」が開催された。14日(金)夜10時に竹芝桟橋から大型客船に乗りこんだ。船内で早速茨城県結城市から参加のチームと合流し早速宴会。夜のレインボーブリッジや東京の夜景を楽しみながら茨城県内のソフトバレー事情や情報交換をした。横浜からは世田谷区からレディースの部参加のまさに淑女の方々と合流。目が覚めたら新島であった。それから1時間後に神津島に到着。
 ゲームも楽しかったが、夜の交流パーティは鯛や平目の刺身の船盛りで食べつくせなかった。さすが全国でも有数の漁場。抽選会では、ほぼ全員に当たる確率で大興奮。名物の「赤イカ入りのイカの塩辛」が当たらなかったのは残念だったが、シルバーの部優勝賞品の島焼酎「盛若」を一人2本頂き満悦。
 この交流大会は、神津島、新島、大島、神津島と島を巡ってきたが、来年は小笠原諸島の父島にて開催予定。9月の連休をはさんで、観光(イルカウオッチング、ダイビング、釣りなど)も含めて6日間開催する予定。
 島を巡るこのソフトバレーボールはアンケートの集計結果では「価値あること、是非とも継続して欲しい」との要望が多くあった。来年の小笠原諸島の主催者の腕の見せ所。勿論、私も岩本洋先生もアドバイザーで最大限協力する。東京諸島の住民がソフトバレーボールによる連携と協働を通じて連帯感を醸成しようというテーマのこの交流大会を本土といわれる東京都中心に各地から観光・グルメ・ソフトバレー大好き愛好者が押しかけて盛り上げようではないか。
(画像は左から、船盛りの刺身、岩本先生大喜びの伊勢海老、帰りの船を背景に世田谷区淑女チームと一緒の記念写真)

2008年11月17日月曜日

ママさんバレーボールクリニックin駒澤屋内球技場


 私の業務のことで恐縮であるが、先週の13日(木)標題のクリニックを開催した。実は、このクリニックは年2回開催して、今年で4回目であるが、今回から私がプロデューサーとディレクターを全て行うことになり、準備にてんやわんやの忙しさであった。プロデュースとは企画・立案であり、デレクターとは現場監督である。イベントは準備が8割で決まる。準備に1ヶ月かかり、実施は1日で終わる。
 14日と17日の本日はイベント事後処理で物品をまた倉庫に収納したり、伝票処理、報告書の作成に追われ、まだ終了しない。
 これから、茗荷谷の大学院に行き、アンケートの集計作業を行う。多忙の「忙」は、「心を亡くす」と書く。多忙でなく、充実している、と私は思っているのだが、油断すると多忙の心中になってしまう。気をつけなくっち・・・。
(画像は愛読者のF.Kさんの箱根路の旅先から送っていただいた紅葉の画像)

2008年11月11日火曜日

恩人の逝去


 一昨日、私の自宅に新年の挨拶を欠礼する旨の葉書が届いた。私が山形県酒田市から出てきて2年目19歳の大学浪人生活を送っていたとき、新宿区で「やよいクラブ」というママさんバレーチームの指導をお願いされやっていた。その時のメンバーの一人の荻原さんというママさんとご主人が両親のいない私を不憫に思ってか、なにかれとなく面倒を見てくれた。結婚式の時も私の親代わりになって頂いた。そのおやじさんが5月に78歳で亡くなったという葉書であった。亡くなった事だけでもショックだったのだが、そのことを今まで知らなかった、足が遠のいていた自分が情けなかったた。実の親にも孝行できず、今回も看取ることもできず、何も恩返しができなかった。5年前にもバレーボールの師と仰いでいた渡辺泰行先生(名門、中村高校監督)に突然先立たれ、後ろ盾を失った私は途方にくれたものだった。
 昨夜、妻と二人の子供達を連れて新宿の荻原さん宅に弔問してきた。線香を上げながら仏壇でにこやかに微笑んでいるおやじさんに詫びた。「今頃不幸者をお許しください」これから、私たちの年代では家族や友人の高齢者が順番に先立って逝く。ママさんチームのメンバーの一人のメールに次の言葉があった。「心の準備をしていなくてはいけない」確かにそうだ。そういう年代だ、我々は・・・。
 ( 画像は愛読者のF.Kさんが法隆寺に行って、壁に掛かってた文字を写して送ってきたものです。『春風(しゅんぷう)をもって人に接し、秋霜(しゅうそう)をもって自らを慎む』。 「春風をもって人に接する」というのは、暖かい気持ちでいつも人に接しなさい。 「秋霜をもって自らつつしむ」というのは、秋の霜のように自分には厳しくあたりなさい、という意味です。坂本龍馬、吉田松陰、勝海舟などに大きな影響とを与えたという、江戸時代の儒学者、佐藤一斎(いっさい)の言葉です。)

2008年11月10日月曜日

江戸川区ママさんバレーボール・クリニック

 昨日9日(日)は、江戸川区ママさんバレーボール・クリニックを開催した。江戸川区にはママサンチームが約90チームも登録がある。役員だけでも15名いる。その登録チームの中から64名が参加して篠崎中学校体育館にて私の指導を受けていただいた。今年で3年連続の講師依頼であった。
 ママサンのチームには監督はいるが、技術を指導できるコーチは少ない。今回は、練習の仕方を中心に懇切丁寧に初心者でも理解できる平易な表現と例えを用いコーチングした。資料も事前の質問に回答する形で7ページ作成し、全員に配布した。
 この3年間、千葉市のママサンチームを毎週指導している経験が生きて、実業団9人制とは違うママサン9人制の指導も板についてきたようだ。実業団9人制は10年前に8年間ほど石川島播磨重工(今のIHI)バレー部で外部コーチとして学習させていただいたので要領はわかっていたが、ママさんバレーの指導はまた違う。千葉市のママサンチームが最近やっと競技成績が上向いてきたのと私のママサンバレー指導力の向上もここに来て最近正比例してきた。やはり、現場で指導している現役のコーチである私が指導することがママサンたちにマッチングするようで、受講者達も見る間にどんどん知識を吸収し身体で表現できるようになっていく。嬉しい限りである。
 ソフトバレー講習会の指導もお陰さまで好評なのは、私が現役プレーヤーで指導もやっているからであろう。ソフトの講習会で講師自身が日常的にプレーしていないで技術指導をやっていられる講師がいるが、例え過去に6人制で日本一になった指導者でもソフトバレーや9人制を指導できるとは思わない。そんな意味で、私の場合はソフトや9人制バレーで日常的に私の指導を受けてくれる仲間がいることに感謝したい。「選手がいるから監督(指導者)の存在がある」ことを多くの指導者に理解して頂きたい。
 では、今からある大変お世話になった方のお焼香に行きます。生かされているものがもっと頑張らんといかん。

2008年11月7日金曜日

米国新大統領の誕生


 米国の新大統領にオバマ氏が選出された。アフリカ系黒人の政治家が初めて米国の頂点に立った。同じ黒人の故マーチン・ルーサー・キング牧師が1968年に公民権運動のリーダーとして「ワシントン大行進」で演説した名文句を思い出した。
 ”I have a dream(私には夢がある)”で始める演説であるが、英語の学習で何度も暗唱したものだ。夢を追い続ける途上で暗殺されたキング牧師。夢そのものになったオバマ氏。
 オバマ氏の双肩には、エネルギー、環境、経済の困難を伴うグローバルな課題がかかっている。オバマ氏は当選演説でこう締めくくった。”Yes、we can!” アメリカ合衆国は変わろうとしている。では、我が国はどうであろうか。表面だけ変わろうとしているのが見え見えのような気がする。新たな日米関係に着手する気概を持っていただきたいものだ。
 ”I have a dream”・・・そうだ、私にも夢がある。ソフトバレー愛好者の100万人目標、ママさんバレー我がチームの全国出場、 外部コーチする高校女子チームの再度の全国3位、来年3月の大学院修了・・・。夢を叶えるには、今日も精一杯頑張るしかない。「きょうは、残された日々の最初の日」
(画像は故キング牧師の演説風景)

第20回全国家庭婦人バレーボールいそじ大会開幕


 昨日は、埼玉県川越市運動総合体育館にて開催されたママさんの50歳以上の全国大会に行って来た。全国から64チームが参加し明後日までさいたま市記念総合体育館と2会場を使用し開催された。昨日は開会式が執り行われた。入場行進を間近で見ていたが、50歳以上とはいえ随分と体格が良くなってきた感がある。中には178cmのスラットした方もいた。

 全国の役員とも最近は顔なじみになり、特に関東ブロックの役員は皆和気あいあい。選手の顔にも知っている顔が結構多くなった。神奈川県からは、先週ソフトバレーシルバー全国大会で出場した元全日本女子監督の岩本先生の奥様が、これも選手として全国大会初出場を果たした。

 50歳以上の大会なのでチームの中には60歳代もいるし、70歳代もいる。ママさんバレーの方たちは姿勢もよく、肌つやも良い。見た目は実年齢より5歳から10歳は若い。売店での記念品への購買意欲も高い。日本経済もこのような元気ママさんが増えれば景気回復もそう難しくない。

 今晩は、我がママさんチームの定期練習日。9日(日)に公式試合の3回戦からの試合があるので、対戦チーム研究をメーンに行う。粘り強く、ボールを落とさぬように、諦めず、元気にプレーしてくれれば良いのだが、要求が多すぎるかな?
(画像は、開会式で勢ぞろいした64チーム。開会式終えるまでの30分間立ちっぱなしであった。さすが、ママサンバレーボーラーですな)

2008年11月3日月曜日

第16回全国ソフトバレーボール・シルバー・フェスティバル開催











 10月31日(金)から昨日の11月2日(日)まで、標題の交流大会に役員で行ってきた。昨年の広島県三次市での同交流大会には行けなかったこともあり、今回は何としても行きたかったのだ。会場は宮城県北部にある栗原市。今年の6月14日に岩手宮城内陸地震で甚大な被害を被ったところ。宮城県ソフトバレーボール連盟と私は、実は10年前の連盟発足当時からの長いおつきあいがある。会長の佐野さん、理事長の三浦さん、役員の方々とは毎年のように県主催の講習会を開催していただき、一緒になって東北のソフトバレーボールの普及のために、まず宮城県からがんばろう、と10年ほど活動してきた。
  県内での普及が進むにつれ、岩手県に近い北部の栗駒山のふもとにある瀬峰町からもチームが県大会に参加してきた。その中に、今回の地元開催地実行委員会会長である佐々木幸一さんがいた。当時は町議会の議長の要職にあるにもかかわらず、「ソフトバレーは楽しい」と練習を続け、とうとう全国ねんりんピックや全国シルバーにも県代表で出場するまでに腕を上げてきた。5年前であったろうか、三浦理事長と佐々木さんとで話し合っているときに、誰からともなく「全国大会を宮城県でもやって、全国の仲間に宮城県に来てほしいね」そんな会話が出てきた。そして、3年前に平成の大合併で、10町村が合併し人口8万余りの「栗原市」が誕生した。では合併記念交流大会を開催できないものかと佐々木さんに相談したところ、栗原市でも議長に就任した佐々木さんが奔走して今回の開催となったわけである。1年かけての準備が着々と進んでいく中で、今回の地震が我々の夢実現の前に立ちはだかった。死者も出た震災の復興もままならないこの時期にスポーツイベントをやってよいものか、市民感情を害しないか、日本連盟も悩んでいたが、栗原市長の「だからこそ開催してください。市民を元気づけていただきたい。全国から人が大勢来てくれることが栗原市が元気になる源です」との言葉で8月に開催を決意した。
 閉会式,佐々木さんが閉会のあいさつで全チームの前に立った。マイクを前にして顔を床に落としたまましばらく声が出なかった。佐々木さんは泣いていた。ここまでこぎつけた苦労が一気に感極まり言葉が出てこなかったのであろう。涙声で、それでも言葉を一言ひとこと全国の参加者にお礼の言葉を述べた。選手も、私も目頭が熱くなった。「栗原市は頑張ります」そう言って佐々木さんの挨拶は終わった。数年して復興したら、今度は「復興記念大会」をやろう。私の次の目標が決まった。
スポーツは人を元気にする、と以前は考えていた。今回の経験はそれが間違っていたことを学習した。スポーツが人を元気にするのでなく、「人がスポーツを介して人を元気にする」のだ。人が元気になれば、地域も元気になる。地域が元気になれば日本も元気になる。
(画像は上から、①日本一の白鳥飛来地を実感、②大会風景、③東京都ソフトバレー連盟の役員応援団 、④東京都代表チームの役員で構成している「TOKYO」の入場行進、元全日本監督女子の岩本先生も選手としては全国大会初出場で緊張気味。「国際大会のベンチで指揮するより緊張した。全日本の選手たちの気持ちがよくわかった」と言ったとか言わなかったとか・・・)