2010年7月31日土曜日

7/30(金) 我がママさんチームの練習でお会いした人


 7月から専属コーチになった千葉市幕張のママさんチームに昨夜も練習に伺った。練習に行く前にチーム代表者から連絡があった。
「渡邉コーチ、今夜は2か月前にお願いした有料コーチの方が見えるので、すでに約束していたのでお断りもできないのですが・・・」
 有料コーチとは、最近FC東京バレーボール部(Vリーグ)所属で、ママさん対象に有料(1回、5,000円)で指導を行っている女性の方がいるらしい。若い人の有料での指導ぶりを見るのも私にとって勉強になるので、邪魔しない程度に練習に参加しようということで体育館に向かった。
 その女性に聞くと、群馬銀行で活躍していたという。高校は福岡県の不知火高校で全日本の竹下セッターとは同級生という。聞き役に徹しようとしたが、未熟な私は群馬銀行の前監督さんのことや福岡県のバレー事情を少し知ったかぶりで出してしまった。とたん、彼女の表情も変わった。「この、変なおっさん、なんかよう知っとるな。気いつけなあかん」彼女が大阪弁でそう思ったかどうか知らないが、その後は口が重くなった。
 さて、彼女はママさんチームを50チーム担当しているということである。バレーの指導で仕事に就けるということは素晴らしいことである。トップチームの指導だけでなく、バレー愛好者のチームの指導を仕事としてやれる環境がさらに整ってくれれば良い。彼女もこれからベテランの域に入って行く年代だ。是非とも後から来る人たちのためにも頑張っていただきたい。
 7月最後の31日(土)の夕方からは、千葉県市川市にてママさんチームのミニ・クリニックがある。先月の関東ブロック家庭婦人講習会での行き帰りに私を送迎してくれた市川市の役員さんへの恩返しでやることになった次第である。
(画像は、読者のKさんから送られてきた足立区の花火大会のもよう。いよいよ、夏本番ですね)

7/27(火) 闘将、中村祐造氏逝く


 当日付の各新聞紙上で中村さんの死去が報じられた。先週、新潟県にいた時も入院していることは耳にしていた。来年、6月の長野県北志賀高原ホテル田川での第5回中村祐造杯では復活した祐造さんの元気な姿と再会するはずであったのが残念なことになってしまった。中村祐造さんといえば、50歳以上のバレーボール関係者であれば皆知っている、1972年のミュンヘンオリンピック男子バレー金メダリストで主将である。試合中はシャツを肩口までまくり上げ、筋骨隆々たる上腕を振りかざし、まるでポパイのようにパワフルなスパイクを相手コートに突き刺して暴れまくった。

 20年前であろうか、バレー教室を私がお手伝いしたことがある。「わたなべ君、2段トスはこうやるんだよ」とコート後方18mからオーバーハンド・パスでポーンと楽々レフトへトスされた時は驚いた。さすが金メダリストだな、常人とは違うと感心したものであった。

 享年68歳は若すぎる。20日に亡くなっていたとのことである。最近は2009年新潟国体特別コーチを務め、ママさんバレー交流大会の創設、ソフトバレー交流大会開催への意欲を示していた。私達は祐造さんの遺志を引き継ぎ、創設された交流大会を継続・発展させることで中村祐造氏を語り続けていくことがお世話になった御礼と考えている。合掌。
(画像は20日付けの日刊スポーツ紙の記事。「よっ!わたなべ君、元気だったか?」祐造さんの元気な声が聞こえてくる。ミュンヘン秘話をもっと聞きたかったな~)

2010年7月26日月曜日

7/24(土),25(日) 新潟県で高校生合宿応援


 昨日まで、新潟市内にある女子バレー部(県ベスト8)の合宿に参加してきた。5年前から高校の監督さんから指導の依頼があったものの、日程が合わなく、今回やっと行けるようになったわけである。東京から朝一の新幹線で新潟へ。駅から車で連れていかれたのがどこかの村の中学校体育館。2つの中学女子チームの監督さんに紹介され、すぐさま練習試合。高校チームはAB2チームに分かれ、中学生と練習試合。私はAチームの練習試合を見せてもらったが、立て続けに2セット取られた。聞けば、Aチームの相手中学チームは県内トップクラスで、昨年度全国大会初出場でベスト16入賞チームというではないか。3セット目から、「私の指導で何とかせい」という高校監督の目線が飛んできた。「今晩は、市内で美味しい晩御飯食べに行きましょう」というのは、この条件をクリアすればの話であったか、と気づき少し長めのセット間を頂き「サーブとブロックの関係」を説明して第3セットに臨んだ。そして、Aチームでの対戦では、それ以降のセットは落とすことはなかったのでほっと一安心。

 私の戦術が良かったわけではなく、戦術を理解し実践できる高校生達が素晴らしかった。聞けば、対戦した中学校からの進学者が多いという。

 日曜日には、高校の体育館に中学男子チームがやってきた。レベルは県でベスト4だという。ネットの高さは2.30cm。一般女子のネットの高さ(2.24cm)より高い。前日は中学女子の高さの2.15cmでボールの大きさは使い慣れない4号球、当日は2.30cmでまた4号球。午前中の4セットは、案の定、ブロックの上から打たれるスパイクにレシーブも弾かれ最大17得点がやっとの始末。午後の3セットも同様であったが、昨夜の新潟市内でビールのお代わりを15杯と大盛りラーメンをごちそうになった手前、最後のセットぐらいは取りましょうとばかり、子供達には全員(18名)でコートの中で円陣を作らせ気合を入れ、攻めに関しては、徹底してサーブレシーブ力の劣るリベロへのサーブを実行させ、相手のスパイクへのトスを2段トスにさせ、高校生のスパイクの第1打目はタッチ攻撃かフェイントで相手守備陣を翻弄することにした。レシーブでは、まず無駄なブロックは跳ばないことにした。相手アタッカーがただ単につないでくるスパイクに対しての女子のブロックは吸い込みやブロックアウトになりやすいので、ブロックに跳ぶよりも下がってレシーブした方が得策である。次に、相手のセッターのクイックのコンビが合っていないので、速攻にはブロックは跳ばないで、コート中までレシーバーは上がっていきレシーブで対応、ブロッカーは移動時間差攻撃の方にだけに跳ぶように指示を出した。結果、17点でセットを取ることができた。相手の中学校は翌日から県大会公式戦で2つ勝つと準決勝ということなので、最後のセットは相手に取ってほしかったが、ここは相手の弱点を突くことで、何か感じてくれればよいかな、と願ってセットを取らせていただいた。3位以上が北信越大会にけるということなので、朗報を期待している。

 2日間の合宿で、昼もラーメン、夜もラーメンとラーメン王国の新潟での高校合宿を無事(体重は増加した)終えることができた。
(画像は、ピンボケになってしまったが、可愛いC高校バレーボール部員達。このまま育っていけば、来年のインターハイは初出場となるであろう。初対面のおじさんとすぐに打ち解けてくれた君達に感謝する。指導者の躾が良いんだね、きっと)

 

7/21(水) 関東私学バレー大会 開会式


 関東各地から男女120校以上の参加チームが集まり、全国大会の予選を兼ねた関東大会開会式が町田市総合体育館にて行われた。
 このような所に行くと、必ずどなたか懐かしい方達と再会する。神奈川学園の金子先生とは20年ぶりぐらいであった。紹介されたのは彼女の高校時代の同級生である森田喜美枝さん(ロス銅メダリスト)からであった。私も、金子先生も今や立派なおじさん・おばさんである。歳月は早足で過ぎ去る。
 開会式も終了し、会場を立ち去ろうとしたら、レストランの中から審判界の大先輩である月岡先生から呼び止められ、役員懇親会に参加することとなった。全国私学連盟理事長の中村四郎先生からも、「まあ座りたまえ」とコップにビールを注がれ、それから二時間ほど歓談することとなった。
 席上、四郎先生からは、来年度の全国大会は四月一日から五日まで町田総合体育館を中心に開催することになった旨報告があった。現在、私学の学校経営は難しいところに来ている。部活も制限がある。スポーツのフレーム(枠)だけでなく経済、社会も含めて大局的に考えて行かないと「私学のバレーボール」の存続も難しい時代になっていると思っているのは私だけではないはず。
(画像は、読者のKさんから送られてきた自宅にある「てっせん」というお花。後日談であるが、優勝は男子が東亜学園、女子が共栄ということであった)

2010年7月23日金曜日

7/18(日)大和市ママさん選手権大会で挨拶

 午前中は、神奈川県大和市家庭婦人連盟主催の選手権大会(30チーム参加)で挨拶をして、午後から県立大和南に行った。先日の神奈川県インターハイ予選会で第2代表になったものの、決勝戦の川崎市立橘高校とのフルセット全て2点差での敗北がよほど応えたのか飯塚監督は元気がなかった。
夕方になって、卒業生の父親二名と一献傾けに駅前の居酒屋に入った。親父さん達と飲んでいると子供達が現役の時の苦労話が出てくる。たまには、こんな時があっても楽しい。
神奈川県大和市から千葉県船橋市の我が家に帰るには途中東京都を通過する。最終電車に何とか間に合って、都合二時間半かかって自宅にたどり着いたのは、深夜の1時30分であった。

7/14(水) 江戸川区連盟ママさん2チーム目のミニ・クリニック

 この週は、一日置いて、江戸川区連盟の総務委員長が代表のママさんチームのミニ・クリニックでした。代表が面倒見の大変良い方で、実際練習をやってみると代表の娘ほどの年齢のママさん達がのびやかにプレーしている。しかし、代表がいなくなったら、暫くの間このチームは崩壊状態に陥るのではないかと思うくらい、代表に頼り過ぎている。それでは遺憾のであるが、私もあんな面倒見の良いお母さんが側にいたら甘えそう・・・。
 練習には、次にミニ・コーチ予約のチーム代表も3人ほど体験練習に来ていた。地域によって特色があるが、江戸川区のママさんたちはこんな風にして次に予約するチームが実際体験しながら決めて行くシステムになりつつある。私も、いつ魅力のないコーチと評価されるかもしれない。なんか、自分で敢て厳しい世界を構築しつつある感じがするのであるが、これも運命か・・・。

2010年7月16日金曜日

7/12(月) 大和市ママさんチームにミニ・クリニック


 大和市家庭婦人連盟のチームを訪問するミニ・クリニックも今回で4チーム目となった。会場は大和スポーツアリーナ。夕方6時には会場設営を始め、6時15分にはウオーミングアップも始まり、9時には退館となる。今回のチームは、昨年度までは市内でもトップを形成してきたチームであったのであるが、ここのところ怪我や病気などで、メンバーを大幅に入れ替えたばかりという。慣れないポジションでのプレーは上手くいかず、練習試合などで調整中ということだ。

 41回目を迎える「全国ママさんバレーボール大会」は、今週末から群馬県前橋市にて開催される。本日(7/16)の朝日新聞には各都道府県からの代表チームの横顔が紹介されていた。その中の山梨県代表チームは、「全員ポジション変更に対応」とあった。これは、素晴らしい。どうも、一般のママさんたちは、9人制バレーボールを「ポジション固定制」のスポーツと勘違いしているようだ。9人制バレーは「ポジション・フリー制」である。サーブを打つ前から、コートのどこにいても、いや、コートの中にいなくとも反則ではない。ママさんバレーは息の長い生涯スポーツである。3年間、一つのポジションを経験すれば、ほぼそのポジションをマスターできる。そして、違うポジションにもチャレンジして、複数のポジションを経験することでそのプレーヤーの幅が広くなる。チーム内で病気や怪我、ご主人の転勤、ヤングママのオメデタ(ご懐妊)という事態があっても、チーム力は急速に低下するということはない。もう一つのポジションを経験することで、そのポジションの難しさも理解でき、思いやりも生まれる。是非とも、複数ポジションにチャレンジして頂きたいものだ。

 そのようなことも、述べながらチーム指導を行っていった。途中で大和市家庭婦人連盟会長御一行が練習手伝いに見えて、ムードは更に盛り上がり、ゲーム練習に入っていく。今回のチームのメンバーは、聞く態度が素晴らしく、こちらも普段言わないような、自分でも納得できる言葉が次から次と引き出された。
(画像は今回のミニ・クリニック対象チーム。あれだけの集中力のあるチームですから、1年内に、またAクラスに復帰できると確信しました。がんばれ~)

2010年7月11日日曜日

7/10(土) 東洋高校父母の会OB・OG会総会

 東洋高校には、外郭団体が4つある。同窓会、父母の会、さいかち会、そして後援会。さいかち会は、父母の会を卒業したOB・OGの会で、名前は学校の側の坂の名前「さいかち坂」から取っている。活動内容は、今のところ懇親会のような様子である。昨夜は、そのさいかち会の年に1回の総会と懇親会が港区のイタリアレストランを貸し切って行われた。私の役目は監査である。
 夜の9時には懇親会も終わり、お酒がここのところ弱くなった私は、先輩諸氏から二次会に誘われる前にそっと立ち去った。これがバレーボール関係者の集まりであると三次会まで持つから不思議である。それにしても、ベテランの役員の諸先輩には頭が下がる。私が果たして70歳過ぎまで、このような会に顔を出しているであろうか、不徳の私にはとても務まりはしないであろう。

2010年7月10日土曜日

7/9(金) 千葉市幕張のママさんチームコーチ始め


 千葉市幕張地区というと、1980年代にできた巨大建設物の幕張メッセをシンボルとして日本の新都心として整備されてきた未来型の街である。その住宅地区にある小学校で練習をやっているママさんチームを訪れた。訪問したのはこれが初めてではない。以前コーチングしていたママさんチームと練習試合で数回お邪魔していた。その時の印象は、良いメンバーがいるのに組織的なプレーができていない、もったいないな、という印象であった。そして、そのチームに昨日から正式にコーチングを始めることとなった。
 練習を見て、あまりに個人練習に時間を割いているのが分かった。基本は確かに大事であるが、個人の基本とゲームの基本の違いをまず知ってもらうことから始めた。それで、いきなり4対4のミニ・ゲームを行い、プレーをつなげるための状況把握の重要性を訴えた。「ラストボールは攻撃」ということも実際の返し方を繰り返して行って体で理解してもらった。
 昨日はその位で練習を切り上げた。どうも、私は「恐い」コーチとしてのイメージがあるようだ。確かにいい加減にプレーしたり、失敗しての照れ笑いなどがあると、多少語調がきつくなるのは否めないが、基本的には各人のレベルを観察して「ヒントを与える気づきのコーチング」が、私のコーチング・スタイルだ。そして、対象者が小学生であろうとママさんであろうと、真剣に取り組んでいないときは、怒るよりも練習をやめてしまう。そのあたりが「恐い」という印象があるのかもしれない。スポーツは勝つことだけが価値ではない。勝利を目指すことはよろしいが、勝利至上主義はいただけない。真剣に、真面目に、勇気を持って、元気に、思いやりを持ってやることもスポーツの価値である。何年やっても下手でも良い。スポーツの爽快感、楽しさを味わってくれれば良い。そして、諦めないで継続していれば必ず上手になれる。チームの成績にも向上が現れてくる。
(画像は太平洋を望む新都心幕張の街。昼は14万人に人口が増加するという。大型ショッピング・モールも多い)

2010年7月8日木曜日

7/8(木) 千代田区のセレブ・ママさんバレー


 東京都千代田区といえば、皇居のある日本の中心ともいうべき地域。千代田区住民は約47000人だが、昼になると官庁街、ビジネス街でもあるこの区の人口は、なんと20倍にも跳ね上がる。この昼夜の人口比率は日本一なんだそうである。
 そして、本日はそんな千代田区のママさんバレーチームの指導を行った。軽い気持ちで「じゃあ伺いますよ」と引き受けたら、「練習は10時からです」と返事が来たので、「えっ、そんなに遅い時間から始まるの」と驚いた次第である。そして、よくよく確認したら「朝の10時から12時までですが・・・」と返事が来た。今どき、午前中に練習を行うママさんバレーボールチームなんて聞いたことがない。首都高速道路の間にある会場の千代田区スポーツセンターに着いてコーチから説明を聞いて納得した。ママさんはママさんでも、千代田区のママさんは共稼ぎをしていないセレブの奥様達であった。だから、午前中から練習ができる。納得。
 練習後、昼食に行くことになった。さすがセレブ。練習の時と全く別人の姿が更衣室から現れた。練習の時は「キャー」とか「ギャー」とか、凄い形相で(すみません・・・)ボールを追いかけていたママさん達が日常着に着替えると品のあるにこやかなお顔立ちに変わって目の前に立っている。
 このママさん達と10月に伊豆諸島の新島でのソフトバレー交流大会に行くことになった。これからの私のバレー人生の波乱を予感させる千代田区のセレブママさん達との練習であった・・・。
 夕方、自宅に帰る途中で秋葉原駅ビルに寄って音楽CDを買ってきた。矢沢栄吉の1970年代のアルバムを購入した。先夜のTVで歌手の高橋真理子さんが彼の作曲の「時間よ止まれ」を歌っていたのが気に入り、愛唱歌の一つにしようかなと購入した次第である。
 さて、明日の夜は千葉市幕張にあるママさんチームを訪れる。予定では、そこのチームで暫くの間、数年?コーチをやろうと内心決めている。チームは全くの初心者同然のチームだが、コーチとしての私が鍛えられる可能性が大なので、それも有難くて面白きかなと考えている。スポーツの爽快さ、工夫する楽しさ・面白さが分かってくれれば良いなと思っている。
(画像はKさんから送っていただいた七夕の短冊。このところの集中豪雨で被害が起こらないことをお祈りします)

2010年7月4日日曜日

7/4(日) 第18回船橋市民ソフトバレーサマー大会開催




 本日は我がソフトバレークラブから2チームが混合フリーの部に出場。混合の部が14チーム、レディースの部が20チーム、ファミリーの部10チームの計44チームの参加チームでサマー大会が繰り広げられた。

 どのチームも最低4ゲームはできる。参加チーム数は千葉県連盟登録数より多い。愛好者は、まず沢山ゲームができる交流大会に参加する。私はAチームで出場。このチームは参加チームの中でも平均年齢がいつも最高年齢で平均年齢58歳。以前は年代別のクラスがあったのだが、現在は混合の部は年齢フリーの部のみになり、50歳以上の愛好者の参加は年々少なくなってきている。超高齢化に突入している我が国のスポーツ環境に配慮した年代別の交流大会への工夫が欲しいところである。
 私のチームは合計試合数で5試合をこなし、全員ソフトバレー満喫状態で午後4時過ぎには解散した。来週からの練習メニューを課題達成型にしてせめて15分間でも課題を設定して練習をやっていきたい。ゲームだけ数多くこなしてもプレーの向上はない。チームの課題、各自の課題を明確に認識して、たとえ、15分間でも具体的に課題を設けてやることでチーム力は向上する。その努力した分、身となり血となることを我がソフトバレークラブの仲間は過去の経験で知っているので私としてはやりやすい。考える練習、考えるゲーム。考えることは楽しい。工夫することは楽しい。自分にとっての良いコーチは、自分である。自分を客観的に見ることで人は皆、自分の良いコーチになることができる。
(画像は、20チーム参加したファミリーの部。小学生達は、お父さん、お母さん達と楽しい1日を過ごしたようだ。審判は小学生達が行っている)






2010年7月3日土曜日

7/3(土) 休日

 本日は休日で、溜まった新聞切り抜きとビデオ録画を観た。録画では、ここ3週間見れなかった池上彰さんの「そうだったのか!」を5時間分見た。5時間分といっても民放の放送でCMが入るので、その部分はCM削除(広告会社には悪いが、便利になった)したので4時間半ぐらいで立て続けに見た。池上さんの解説はその物事の歴史に始まり、本当に分かりやすい。最近読んだスポーツライターの玉村正之さん著の最新刊『続スポーツ解体新書』のなかにもスポーツ史の学習の重要性が述べられていた。玉村氏はそのことをスポーツ社会学の先達である中村敏雄先生の著作(『オフサイドはなぜ反則か』)から学んだと言う。以下、玉村氏の文面から取り上げるとする。「なぜそういうルールが生まれたのか?なぜそうしなければいけないのか?先生の著作は、スポーツの歴史を掘り起こす必然的結果として、スポーツの本当の面白さ、すなわち、人間の営みとしてのスポーツの存在意義や、文化としての価値の高さ にまで踏み込んで言及され、スポーツライターとして悩んでいた男の目から数えきれないくらい何枚ものうろこを落としてくださった」
 池上さんの解説もやはり歴史から入ってくる。表層的なことばかり知っているのでなく、歴史的過程を知ることで現在の認識に厚みを持って考えるようになる。似非評論家の言葉はすぐに看破できるようになる。面倒でも歴史を遡ることは大事だ。
 さて、明日はしばらくぶりに市民ソフト大会にわがクラブの面々と一緒にゲームに出る。このところの節制不良がプレーにどう影響するか、仲間のブレーキにならないように、仲間を褒めちぎって仲間のファインプレーを多く引き出すとしよう。

2010年7月1日木曜日

7/1(木) さあ、7月の始まりです


 何だかんだ言っている間に7月が来てしまった。1年の後半に入った。仕事の方は同僚とお客さんと家族に助けられて何とかかんとか大きな谷もなく伸展している。先週は長野県での2泊を皮切りに東京で日本ソフトの講習会もあり4日間、夜はアルコール漬けであった。そのせいか(歳のせいか?)、疲労が抜けなかった。ここ3日間は、数々の熟女の誘惑を振り切ってノンアルコールの夜を過ごしているせいか本日あたりからすこぶる体調が良い。
 今月のママさん対象の無料の出前ミニクリニックは5チームの予約が入っている。ほとんど夜の練習だ。しかし、1回勝負のコーチングもなかなか面白い。
 明日は会議だ。
(読者のKさんからの画像。路傍のヤマユリ)