2011年9月29日木曜日

9/28(水) 訃報 

 また、御一人、大変お世話になった先生が亡くなられた。享年82歳。高橋末光先生のお名前は、誰も姓の高橋は呼ばずに、名前の末光(すえみつ)のほうを呼んでいた。すえみつ先生と出会ったのは、今から34年前になる。
 その頃、全国に出場する直前の東洋高校男子バレー部監督の山口先生(故人)と知り合ったばかりの私は、江東商業高校のすえみつ先生を紹介された。熊本県の高校から日本体育大学に進み、東京都立高校の教員に採用され、定年を都立江東商業で迎えた。都心の都立校なのでグラウンドも体育館も狭かった。体育教官室も小さかったが、体育主任のすえみつ先生も小柄で丸い顔にちょこんと小さな目と小さな口が付いていた。先生が監督されていたのは女子バレー部で、私も5年ほど月1回練習お手伝いをしていた。
 東京都高校男子バレー地区大会の会場の1つは、いつも江東商業であった。実は、すえみつ先生は、東京都高校体育連盟男子バレーボール専門部の役員(定年前には最高責任者の部長)であったので、同じ第1支部内に属する東洋がらみの試合は全て江東商業で引き受けていた。その当時の東洋高校の体育館はエンドラインから5mほどしかない小さな体育館であった。そして、江東商業の体育館も小さく、東洋にはやや有利な条件であったかもしれない。そして、すえみつ先生は、東洋の蔭の応援団長でもあった。
 昨夕は、ご自宅に電話して、奥様ともお話ができました。昨年の春の高校バレー初優勝を大変喜んでいたと奥様からお聞きして、目頭が熱くなりました。練習を終えて、先生や女子バレー部員達と一緒にJR亀戸駅に向かって住宅地や商店街の路地を通って帰っていった日々が想い出されます。
 今夕、西日暮里の斎場で、すえみつ先生にお別れを言ってきました。帰りに、全国高校体育連盟バレーボール専門部の元役員の先生方や東京都バレーボール協会元役員の方々と二度目のお清めをさせて頂き、しばし末光先生の思い出話に耽った。
 すえみつ先生、さようなら。大変お世話になりました。私はもう少しバレーボールで頑張りますから、見守っていてください。 合掌。

9/25(日) JVA公認ソフトバレーボール・リーダー養成講習会in福岡 2日目

 本日は、朝9時から午後4時まで、全て実技。審判法の吹笛、ハンドシグナル、判定基準に始まり、ウォーム・アップ(warm-up)、トレーニング法、基本技能の指導を県連盟のマスターリーダーが主体的に行い、私が補い支援する形で行った。
 基本技能では、全ての技能の説明ができるカリキュラムにはなってないので、今回は各種パスとサーブの指導に留まった。ゲーム形式での審判法実習では各チームが2セットずつ行い、コートコントローラーのマスターリーダーが指導・評価する形をとった。
 今回の成果は、福岡県連盟は私の方からの事前準備としての要望を全て叶えて頂いたことだ。これからの講習会は、特に座は、パワーポイントやPDFをプロジェクターで活用して資料を提示することが大事と考えている。パソコンにプロジェクターを繋ぐことで活字も拡大できるし、動画も見て頂ける。来年度からのリーダー講習会はこのようにITを活用した講習会を原則として行きたい。そのことが、受講者満足になっていく。
(画像は、ゲーム形式での審判法の実習で記録の練習をする受講者。来年はここ福岡県にて全国シルバー交流大会が開催される) 

2011年9月28日水曜日

9/24(土) JVA公認ソフトバレー・リーダー養成講習会in福岡

 我々、JVA公認講師の中でも、ソフトバレー関係の講師は、原則、年2会場の担当と取り決められている。今年の私の担当地域は、先月の東京都と今回の福岡県である。福岡県でのソフトバレーの講習は初めてである。
 朝9時に羽田から飛び立って1時間後に着いたところは、北九州空港。初めて聞く名前の空港だ。講習会の会場が北九州市なので、ここの空港が一番近いということだ。出迎えには県連盟の競技副委員長さんが来てくれた。北九州の空気は東京と違い透明感があり、清々しかった。
 会場について、久しぶりにお会いした県連盟の理事長である高田さんと近況を確認しあった。全国でも最年長の理事長である。私の講習会のやり方は、全て私がやらないで、マスターリーダーである役員さん達に分担してやって頂く方式である。1ヶ月前に、理事長を通じてマスターリーダーの方達に役割分担をお願いして準備に入って頂いた。今回は、更にパワーポイントを使用して頂くことをお願いした。ソフトバレーの世界では、まだまだIT化が進展していない。受講者により理解しやすい講義をするためには画像を拡大できたり、図式を示せたり、動画もできるIT化が必要だ。今回の福岡県連盟は、そんな私のお願いに応えてくれた。
 夜には、15名の役員と夕食会になった。お酒が入ると、私のことなどどこ吹く風で、役員同士のよもやま話が始まった。地元の人同士の会話だと、私にはまったく理解できなくなる。二次会で全員カラオケ館に移動。福岡県ソフト連盟の役員は、まったく仲が良く、元気だ。私も負けてはいられない。演歌を立て続けに歌った。どうやら、歌がわが身を助けたようで、役員の目は私を尊敬のまなざしで見つめている。ソフトバレーの指導より演歌が認められた?
 ホテルに帰って、バッタンギュー。九州の男達は強い。そして、それ以上に女性役員が強い。
 

2011年9月26日月曜日

9/23(金祝) 駿台学園中学校男子バレー部に行く 

 今夏の全日本中学校男子バレーボール選手権大会を制したのは、東京代表の駿台学園中学校。何と、4年連続だから凄い!3年連続だけでも素晴らしい金字塔であるのに、4年連続とは恐れ入った。その男子バレー部に、本日は訪問した。訪問と言っても、私からアポ(約束)を取ったわけではなく、ある人の付き添いで伺った次第である。
 ある人とは、FIVB国際バレーボール連盟公認インストラクターの足立さんのことである。足立さんとは6年前にJVA日本バレー協会事務局にて知り合い、特に昨年末から急速にお会いする機会が増えている。最近ではFIVB公認コーチコースや千葉県バレー協会主管の日体協公認指導員講習会でお会いしている。数えてみたら、先月だけで16日間会っている。
 その足立さんが、今まで日本にないようなバレーの指導DVDを創るというので、私も立ち会った訳である。実は、私は駿台学園さんとは縁が深い。23年前になるであろうか、東京の佼成女子学園で専任コーチをやっていた私が、駿台学園高校女子バレーの村中監督にお会いしたのが最初の縁であった。その後に男子バレー部の監督さんと親しくなり、その先生の母校である国士舘大学男子バレー部の監督であった橋本教授を紹介頂き、更には駿台学園校長の瀬尾先生を紹介頂き、そのことが関東私学バレー連盟発足に関係して行ったり・・・。駿台学園高校の男子バレー部の監督さんのお名前が出てこない。お顔は明瞭なんだが・・・いよいよ私も立派な認知症かな・・・?
 おっと、本日は、駿台学園バレー部の歴史のお話でなく、全中4連覇を成し遂げた駿台学園中学男子バレー部をモデルに足立さんがDVDを作成する現場にお邪魔したお話であった。結論から言うと、撮影は順調に進み完了した。DVDは年内に販売されるようだ。男子バレー監督の海川先生とは名刺交換しただけであった。
(画像は、中学生に指導する足立さん。この日のために既に4日間学校に通い、子供達と心を通わせている。モデルは1,2年生のみであったが、初級編を作成するのには十分なスキルをマスターしていた。来年の5連覇も成し遂げるかもしれない)

2011年9月23日金曜日

9/22(木) 台風一過

 朝、自宅から通勤のために西船橋駅に向かった。路上には傘が散乱していた。駅に着くまでの11分間、その数を数えたら、25本もあった。
 風に飛ばされて、飛んで行った傘は危険この上ない。路上で拾って、ゴミ入れなどに入れてしまわないと怪我人が出るのは必定。それにしても、昨夕はここ船橋市でも風速10メートルを軽く超えていた。
 来月中旬には、伊豆諸島の三宅島に船で渡りソフトバレーの講習と交流大会を運営そして参加してくる。台風よ、来るなよ。来ると、乗船している人を見て驚いてしまうぞ。あのモントリオール金メダリストの白井貴子様なるぞ。恐いぞ~・・・。なんて、白井さんを魔よけにして航路安全を祈りましょう。

9/21(水) 全国ママさんバレー冬季大会 千葉県予選会

 ママさんバレーボールの全国大会が幾つあるか、知っていますか?4つあるんですね。今年できた大会に「全国ママさんバレー冬季大会」というのがある。解りやすく言うと、第5回までやっていた「ローソンカップ」の後継版ですね。協賛社は、ローソンとミズノ。第1回の今年は福岡県にて12月に開催される。予選会が全国で始まっている。私が住んでいる千葉県でも80チームが会場の成田市総合体育館(4コート)を中心に参加し、今日から予選会が4日間くり広げられる。
 この日は、ちょうど台風15号が上陸し、関東でも夕方から暴風域に入った。私は2時には会場の成田市総合体育館から引き上げ、自宅に戻った。会社の方も3時過ぎには総務通達で早退指示が出たが、都内の電車は全てストップになり、同僚達は夕方電車が動き出すまで駅構内で3,4時間過ごしたようだ。
 今年は台風が多い。それも被害をあちこちで撒き散らしながら日本列島を縦断している。今年は、このあたりで打ち止めとして頂きたい。秋は豊穣の秋とも言われている。全国各地で、自然の恵みに感謝を捧げたい時期である。
 これからの台風達よ、弱っている日本を避けて海上に消えて欲しい。

2011年9月19日月曜日

9/19(祝) 敬老の日

 「敬老」の「老」とは、いったい何歳以上を「老」というのでしょうかね?電車のシルバーシートは一般的に定年の60歳以上であるらしい。しかし、シルバーシートの年齢に関する定義が変ろうとしている。
 厚生年金は、基礎年金相当の定額部分が65歳からとなっているが、更に報酬比例部分の支給開始も60歳から65歳に段階的に上がる。男性の場合、2013年度から引き上げが始まり、定年退職時に年金がもらえない人や、定年後に5年間、無年金の人が出る、ということだ。従って、国は企業に対して、65歳までの定年延長や60歳からの再雇用を求めている。シルバーシートはどうやら近いうちに65歳以上になるかもしれない。
 私の場合は、勤務先に定年延長制度がある。1年ごとの契約制だ。しかし、私は2月27日に誕生日を迎え、3月10で勤務先を定年(卒業)することを決めた。確かに、ここの会社でなければできないことが沢山あった。感謝しきれない。しかし、ここの会社を出ることで、できることも沢山ある。名のある企業という肩書がなくなるが、これからは自分の力量で残された人生を切り開き、豊かにしていこうと考えている。目的はバレーボールの伝道師。若手の指導者とベテラン指導者のパイプ役になることを、ずっと20数年前から考え、やってきた。バレーボールが世界の人々に更に広まるように、これからも多くの指導者の育成、養成に携わっていくことが私の道だ。
 私が、電車のシルバーシートに堂々と座れる日は、取りあえず70歳から、としておきたい。それまでは、やせ我慢で通していきたい。

9/17(日) 日体協公認指導員養成講習会in神奈川県

 私が日体協公認指導員・上級指導員養成講習会をお手伝いしている県で継続しているのは、現在3県。青森県、秋田県、神奈川県。私が主管している地元の千葉県も入れれば4県になるが、神奈川県との関係は長い。昨年、神奈川県の指導強化普及委員長を退任された森先生から講師を依頼されたのは、かれこれ8年前になろうか。開催されなかった昨年を除き、毎年講師の依頼を受けている。今年から委員長が代わられたが、新委員長の原先生からも引き続き依頼があった。
会場は、原先生が勤務されている日本男子バレー界の名門である藤嶺藤沢高校である。
 今年の講習会は4日間で、9月に入ってから、週1回のペースで開催している。本日が私の担当で、「ウオーミングアップとクーリングダウン」「初心者指導」の計3時間。JVAが編集している現在のテキストには「ウオーミングアップとクーリングダウン」の章は2ページのみで詳細が解説されていない。そこで、今回は、私も改めて最新の研究成果を学習して望み、講義では受講者に解りやすくパワーポイントで図を使いながら解説した。講義は15分ぐらいで済ませ、実技で24人の受講者に実際動いて体験して頂いた。ポイントは、種目の特性に配慮したアップの内容にしようということ。例えば、ブロック強化週間であれば、ブロック動作につながる基本のステップやストレッチを多めに行おう、ということである。アップのためのアップでは時間の浪費である。
 受講者の中には、全国レベルの指導者も多く、川崎市立橘女子バレー部監督や県立大和南女子バレー部の藤原コーチなどが挨拶に見えた。中には、15年振りぐらいに挨拶された埼玉栄女子バレー部の親御さんもいらして「ご無沙汰です」の声で、少し昔に埼玉栄高女子バレー部をコーチしていたことなど思い出した。
 午前中の私に割り当てられた講習を終えて、帰ろうとすると、県立大和南女子バレー部の前監督である飯塚先生より電話があり、講習後の食事に誘われた。午後の「バレーボールに適したトレーニング」の実習を見学しながら、飯塚先生を学校で待って、夕方には藤沢駅近くの居酒屋さんに入った。
 明日の敬老の日は、私もお休み。くつろいだ感じで飯塚先生、受講者で大和南のコーチ2人、そして前委員長の森先生の5人で2時間ほど過ごした。話の中心は、60歳を過ぎたベテラン教員お二人の新米教員時代の思い出話に花が咲いた。
(画像は、我が家の本棚に合った「藤嶺藤沢高校バレー部60周年誌」。全国大会優勝7回、準優勝3回。全日本選手も保田選手など富士フィルムで活躍した卒業生が多い。 )

2011年9月17日土曜日

9/15(木) ジジ・ババ練習会

 東京都で、数チームであるが、50歳以上の男女が、硬いバレーのボールで9人制をやっているということは以前から知っていた。今夜は、その練習会に行った。
 誘ってきたのは、東京オリンピック東洋の魔女として活躍したレシーバーの内田(旧姓は藤本)ユウ子こさん。5月にママさんバレーの千代田クラブさんについて日本青少年センターの体育館での招待試合に行った。そこには、ママさんチームが11チームと60歳以上の男女混合チーム1チームが公式試合さながらに熱気を帯びてゲームを行っていた。主催者がユウ子さん属する「ジジババ会」なる団体であった。ユウ子さんとは、10年ぶりぐらいの再会であった。話の中で、練習にいらっしゃいよとなって今夜お邪魔した次第である。
 会場は、これも10年振りぐらいで訪問する江東区清澄公園の隣にある名門中村高校の体育館。
体育館に着いたのは、練習も終盤の8時に近くになっていたので、私は着替えずに審判をやった。総勢で20人ほどいた。60歳代後半と思しき男性は、チェスト・パスで速攻のトスを上げている。70歳を少し超えたと思うユウさんは、バックの方で特有のしゃがれ声の大きな声を出してレシーブに2段トスに動き回っている。なんとまあ・・・元気な人たちだ。
 練習後、12人ほどで、定例飲み会となり、私も誘われるままについて行った。着いた場所が両国駅近くの大衆酒場。飲むほどに参加者の実態が少しずつわかってきた。慶応、早稲田、中央と名門大学で鳴らした男性が多いのが特徴だ。どうりで「今度JVAの会長になった中野はどうかね?」と呼び捨てで聞いてくるわけだ。この「ジジババ会」は、かれこれ25年間続いているということだ。
 月に1,2回練習しているということだが、私も運動不足の時は参加させていただこうかな・・・。

9/14(水) 市川市のママさんチーム訪問

 昨年、始めて指導行った千葉県市川市のチームに、1年振りぐらいか、コーチングに行った。行くきっかけは、間違い電話からであった。先月、開催していた日本体育協会公認指導員養成講習会で、その日どうしても我が家の車が使えなく、お手伝いに見えている千葉県家庭婦人連盟の役員さんの1人にピックアップ(出迎え)を携帯メールからお願いした。ところが、メールを受け取った方は今回の講習会にはお手伝いに入っていなかった。それでも、代わりの方を紹介されて、代わりに見えた方とお話ししていて、間違いに気がついたというわけだ。その間違い電話の非礼のお詫びとして、練習お手伝いしましょうとなったわけである。
 会場は、西船橋から武蔵野線で2つ目の船橋法典駅で下りて直ぐ近くの小学校であった。この日は、今月末の全国冬季大会の予選会に備えて練習試合を組んでいた。市川市にはママさんチームが70チームほどあるという。しかし、県連盟に登録しているのが4チームほどで、船橋市や千葉市のように市内の約半数のチームが県連盟に登録しているのとは大きく違う。
 ママさんのチームは、どこのチームを見ていても、サーブが弱い。サーブの種類は、サイドハンドのフローターが多い。このサーブは、腰の回転を使って行うサーブなので非力でもボールは飛んでいくが、コントロールが難しい。少なくとも、前衛のアタッカー陣だけでもオーバーハンドのフローターサーブをやって欲しい。つまり、オーバーハンドのフローターサーブ(昔はテニスのサーブと形が似ていたのでテニス式サーブとも言われていた)の腕のスイングのやり方はスパイク時のスイングと似ているので、一挙両得というわけなのだが、ママさんには実行する人が少ない。現在の中高校生のほとんどはオーバーハンドでのサーブで、サイドハンドでのサーバーは、まだ力のない小学生低学年ぐらいだ。オーバーハンドでのサーブを指導できる指導者がいないのであろうか、オーバーハンドはパワーが要ると敬遠しているのか、実行するママさんは少ない。逆に、オーバーハンドを学生時代からやってきた30歳代の若いママさん達は、コントロールが容易なこのサーブしかやっていない。
 オーバーハンドでのフローターサーブは肩が強くなければ打てない、というような考えがあるようだ。このサーブを実行するポイントは、肩の強さがあった方が良いにこしたことはないが、それ以上に大事なポイントは、トスの上げる位置、体重移動、腰の回転、そして手首の固定にある。トスを低めにやや前方に上げ、体重移動を後方から前方に、腰の捻りを活用し、ボールが回転しないように手首を固定してうつことである。練習方法としては、短い距離から始め、徐々に距離を伸ばしていくとよい。腕や肩のパワーを意識して打つと、手打ちになりボールはさほど飛んでいかない。体幹からのパワーを生かして、末端の腕は意識の外に置くとよい。
 帰りは、近いですから車で送ります、と言われて従ったが、確かに自宅まで10数分と近い。コーチングのお礼に市川名産の梨まで頂き、今月中にもう一度行かねばなるまいと思った次第である。コート内での戦術は私の方がやや上でも、コート外ではママさんの方がずっと上だ。果物が私の好物だと見破られている。

2011年9月14日水曜日

9/13(火) ソフトバレー定期練習

 練習時間が、あと30分しかなくとも、私は会場に駆けつける。今夜も、明日の会議の資料作成で会社を出るのが遅くなった。自宅に戻り、あたふたと着替えて、車で40分かけて船橋市内の外れ、習志野市に近い練習会場の大穴中学校まで行った。
 先月入部してきた30代前半の若いお母さんも練習に出てきている。(よしよし練習休まずに続いているね)。彼女は、数年ぶりにソフトを再開したので、体力と勘が戻ってくるまで、もう2、3カ月はかかるであろう。この日のメンバーは少なめであったが、18名いた。新入部員の彼女に攻撃時のフィンガー・サインを教えながらゲーム練習を行った。次の交流大会は、11月にお隣の茨城県取手市連盟から招待されているコート上4人の合計年齢が160歳以上という条件が付いている。我が「大穴クラブ」は、160歳どころか260歳以上でもOKである。
 そういえば、先週閉幕した全国レディース&メンズの交流大会に茨城県代表として取手市から「ドルフィン」男女2チームが出場していた。彼ら、彼女たちとも再会できる。

9/12(月) 初秋なのに、残暑が厳しい!

 時代が動きつつある音がする。日本ソフトバレーボール連盟は、昨年20周年記念式典を行い、節目を作った。主だった役員の年齢は60歳を超えている。JVAの個人登録制度を導入した4年前を境に登録チーム数、登録人口数とも半減し、毎年減少し、今年度で、やうやく下げ止まりしている。財源を確保し、事業を推進することで、理念を実現していく。そのためには新しい人が、新しい見方が、新しい力が必要だ。日本ソフトバレーボール連盟は変わらなければならない。
 国内政治も野田新政権が動き出した。USAのオバマ大統領も就任当初の人気はない。円高は進行している。人間の意思とは別に自然は時に暴れる。
 時代は動いている。そして、時代を動かすのは人間であっていたい。

9/11(日) レディース&メンズ 最終日

 朝の委員長Meetingにて、本日の予定の確認を行った。今日は何と言っても、閉会式を滞りなく速やかに終わらせ、参加者を予定の帰りの飛行機に乗せることである。昨年の愛媛県での大会では、ここのところが上手くいかず、参加者を試合後30分待たせてしまった。11時からは、来年度開催の石川県から見えている視察員3名と引き継ぎを行った。石川県の体育館も器は大きいので、100チームの参加を期待している、と富山県連盟の会長が述べた。
 閉会式は、結果、無事滞りなく終了した。北海道役員60名は、終了後、小躍りして喜んでいた。やはり、皆さん、心配していたのであろう。私も大会副委員長の役目を果たしてホッとした。
 新千歳空港には、札幌市ソフト連盟前会長の相良様に愛車で見送って頂いた。役員の中には遠く釧路からも見えている人がいる。札幌から特急で5時間かかるという。北海道は大きい。そんあ北海道連盟を昨年まで19年間まとめてきた前理事長の逸見さんも大変ご苦労なさったことであろう。新理事長の高田さんも、20年目からのリーダー役で期待せざるを得ない。
 千葉県船橋の自宅に着いたとき、時計は9時を回っていた。釧路の役員達も地元に着いたころか・・・、多くの役員が全国から見えたソフトバレーの愛好者をこの3日間支えてきた。参加者も役員も双方に良い思い出になったことと確信する。来年の石川県では更に運営に磨きをかけたい。
(画像は、昼のお蕎麦。相良さんが毎昼お弁当では飽きるでしょう、と市内の高級蕎麦屋さんに連れてきて頂いた。釧路市に本店があって、昭和天皇も召しあがったということだ。お蕎麦のコース料理になっていて、蕎麦寿司に始まり蕎麦搔き(そばがき)のお汁、仕上げは画像のざる蕎麦。北海道も昔は肥沃な土地がなく、痩せた土地でも育つ蕎麦を育てて食していたということだ。苦労が偲ばれる)

9/10(土) レディース&メンズ 第2日

 札幌の空は、時折雨模様で気温も20度ほどだが、「きたえーる」体育館の中は熱気でムンムンしている。男女のチーム計80チームがコート間に余裕のある10コートで熱戦を繰り広げた。
 夕方からは、市内にあるアサヒビールのホールに700人ほどが入り貸し切り状態で「交流パーティ」が始まった。会長の挨拶に始まり、私の役目は乾杯の音頭。皆、喉も渇き、うずうずしているところでの私の登壇。ここで、長々と挨拶していたら恨まれるのは必定。さっさと「乾杯!」の音頭を取り、皆ジンギスカン鍋に一心不乱に食らいつき、飲み放題のビールを喉に流し込む。胃袋も一息ついたころに、あちこちのテーブルに飛び歩き懇親が始まった。
(画像は体育館内。コート設営は最大18面取れる。10月には春高バレー道予選会。11月にはワールドカップ女子大会が開催される)




2011年9月12日月曜日

9/9(金) 全国ソフトバレー レディース&メンズ交流大会in札幌 開会式


 今日から3日間、札幌の「きたえーる」という北海道で一番大きな体育館にて、今年のレディース&メンズの交流大会が開催された。
 朝10時、羽田空港で日本ソフト連盟経理委員長の金当きよ子さんと待ち合わせした。金当さんは、もう70歳に近い年齢であろうか、この人に経理を任せておけば心配はない。なにせ、お名前が金に当たると書いて金当(かねとう)と読む。金庫に穴が開いても、金当さんであれば、たちどころにお金を作って埋めてくれるであろう。そんなおとぎ話みたいではあるが、信頼感がある。
 1時間半後、新千歳空港に降り立つと、私の仲間の審判規則委員会メンバーの本田さん(北海道連盟副理事長)が出迎えてくれた。北海道を訪れたのは5年振りか。空港から30分も高速のような一般道を車が軽快に走って、札幌市内の「きたえーる」体育館に着いた。
 昨夜から入っていた日本連盟の西山会長、成田理事長も加わって、地元の実行委員会と一緒に、本日から最終日までの3日間の運営の確認に入った。
 実行委員会後、代表者会議、審判クリニックと進み、夕方に宿に入った。宿は、ユースホステルであった。宿泊料は安いに越したことはないが、会長にとっては部屋にトイレも風呂もないホテルであったのは、ちと気の毒であった。
 宿には、荷物だけ置いて、日本連盟役員4人だけの夕食に出かけた。車で市内に向かって15分ほどで降り立ったのは鮨店であった。そこには北海道バレーボール協会の理事長である紺屋さんという元高校教員の方が待っていた。なんでも、成田先生とは大学時代の後輩とかで、今夜は招待されたようだ。紺屋さんからは、10月開催のワールドカップの準備のこと、北海道協会が今年で80年を迎え、来年2月に式典を開催する準備に入っていることなど聞くことができた。
 レディース&メンズの全国交流大会の大会副委員長の任は、今回で6回目であろうか。来年あたりからは、大会委員長を任せられるかも知れない。明日からは1つ上の役職で、自分が大会委員長のつもりで、一つ一つことに当たっていこう。
(画像は、代表者会議。震災に遭った岩手、宮城、福島そして隣県の秋田から出場チームがあった。同じ東北ブロックの山形、青森からは男女ともなかった。寂しいね)

2011年9月11日日曜日

9/7(水) 高校の同窓会連絡

 私が卒業した高校は、山形県立酒田東高等学校。山形県では進学校の一つである。卒業生で著名な方は写真家の土門拳さん。私は、優秀な生徒ではなかった。中学校までの成績は学校で10番以内であったが、高校に進学すると、1学期から大学入試問題を解くような授業に嫌気がさしていた。
 特に数学と理科はまったく勉強をしなかった。数学では「0ゼロ」の意味を考えていたが、教師から、「そんなことは大学に入ってから考えなさい」と一喝され、中学校では、あんなに好きだった数学が急速に嫌いになっていった。英語の教員に対しては、あなたの発音は良くない、などと平気で言っているような生徒だったので、困った生徒だったのであろう。ましてや、その英語の教員が、3年時の私のクラス担当であったので、進学の相談なんて一言もしなかった。
 昨日、その卒業した高校の同窓会から昭和45年に卒業した7クラスの同期会の写真が送られてきた。男性達は半分頭が白くなっている。卒業した1/5の当時の高校生達が体型も見かけも変化して還暦を迎え、写真の中で集まっていた。
 私の高校時代は、バレーボール部の活動と早弁(午前中に弁当を食べてしまうこと)しか思い出はない。早弁は、中学相撲で横綱になったこともある小柄だが怪力の土井君からいつも失敬して食べていた。当時の私は父一人子一人の生活をしていて、父はまともな弁当を作ることはできなくて、私の昼食はほとんどパンか、たまに弁当があっても、おかずなどタクワンと卵焼きだけのシンプルなものであった。土井君の弁当は、おかずが多くて旨かった。私を相当哀れにおもったのであろうか、土井君は時々、自分の弁当を私に食べさせてくれた。母親の作ってくれる弁当はやはり違うな、子供心に土井君が羨ましかった。
 私の60歳代はこれから始まる。いままで、さんざん寄り道して遊んできたのだから、エネルギーはまだまだ残っている。これからが私の折り返し点だ。
 

2011年9月7日水曜日

9/6(火) 我がソフトバレークラブの定期練習

 最近、練習に出ている。会社の会議が長引いて、今夜も練習会場に行くのが遅くなった。車で40分かけて会場の船橋市立大穴中学校に行った。学校に着くのが、いつも8時15分過ぎ。私自身の練習時間はない。我がクラブの特徴として、15分間だけ課題練習を行う。
 今月からは、男性攻撃陣の時間差攻撃の基本を指導する。いわゆる、X攻撃というやつ。一人がAクイックの速攻に入り、もう一人の男性が回り込んでBクイックのセミを打つ。戦術としては1980年代のバレー界の定番である。この戦術のポイントはコントロールされたサーブレシーブとセッターのトスコントロールである。特にセッターであるが、我がクラブのセッター陣のおばさま達は自分達が1歩も動かずにトスアップできるようにナイス・レシーブするように無言で要求する。全日本で言われる「Aパス」がセッターに返らない限り、スパイカーが打てるトスを上げようとしない。まあ・・・そのことが、逆に男性陣のレシーブ力をアップさせているという結果を出している。
 先週の船橋市民交流大会で、我がクラブからは2チーム出場した。どちらも20歳以上のフリーの部である。そして、1チームが、久しぶりにフリーの部で優勝して帰ってきた。これも、動かない(動けない?)我がクラブのセッターのお陰であろう。感謝である。
 それにしても、私が出場できないときに優勝しているのが、ちょっと悔しい。
 ゲーム練習では、2点連続ポイントしなければ1点入らないシステムで行った。これは集中力を高める練習だ。6-6から始めて、結果はサーブ力のあるチームの方が勝利する。集中力とサーブ力は相関関係があるということである。ゲーム練習をただ単に点数を競うだけでなく、このようにプレッシャーを与えることで、緊張感に慣れて、集中力が増し、実際のゲームを楽にプレーできるという効果が出てくる。我がチームでは、心理学を活用した結構メンタルな指導をやっているんですよ、エヘン。

2011年9月5日月曜日

9/4(日) 筑西市バレーボールクリニック開催

 今年で第3回を迎えたクリニック。折からの台風12号の影響を心配しながら、茨城県筑西市に車で向かった。御茶ノ水から1時間半、高速道路は日曜日ということで空いていて、会場の筑西市総合運動場に着いたのは8時。
 今回の参加者はママさん94名。講師はママさんに絶大の人気を誇る丸山由美さんと39歳で現役を続ける多治見麻子さん。私は進行役と講師でお手伝い。多治見さんとは、彼女が高校2年生のとき以来、20年振りで再会した。
 当時、10月の国民体育大会を終えると、全国の高校チームは新体制に移行する。八王子実践高校の新キャプテンは多治見麻子が任命された。監督の菊間先生には、私も顔を知られるようになっていた。11月の都大会の後、学校に行く機会を作った。そこで、菊間先生に提案したのは、フリーウエイトでのトレーニングと生徒一人一人に合ったシューズを作成することの2点であった。運動能力は高い実践の子たちではあったが、パワーがあればその能力はもっと磨かれると思ったからである。シューズの方は、全員のシューズが汚れていて、試合用と練習用とに分けて使っているとは思えない、つまりシューズに無頓着ではコート上でしっかりとしたステップを踏めないであろうと思ったからである。
 菊間先生は、その頃6,7年間、全国制覇から遠ざかっていた。何かアイデアでもあれば何でも取りあえずやってみようと思われたのであろうか、フリーウエイトの機材の納品は受け入れてくれた。シューズに関しては、キャプテンの多治見が良いと言ったら、やってくれと条件付きで受け入れてくれた。フリーウエイトの機材を納入し、トレーニング方法を説明し、シューズは、子供たちの足形を一人一人取り、子供たちの意見も取り入れてシューズを作成し、チームの改善を図った。結果、1月の春高バレー予選会を1位で突破し、3月の本大会では優勝を飾った。
 そんな思い出のある多治見選手と再会した。少し話していると、20年前に戻って「あさこ」と呼び捨てになっていた。麻子は、今回の主任講師である丸山由美さんに憧れてバレーボールを始めたと私に話してくれた。麻子は、どこのチームでバレーを続けるのであろうか。麻子、まだ39歳なんだね。私も、まだ59歳。やりたいことは、まだまだある。

2011年9月3日土曜日

9/3(土) 全国小学生バレー指導者二次講習会に挨拶

 例年、全国4~5会場で開催される講習会のトップを切って、私の地元である千葉県にて開催された。年度初めから、挨拶に来ていただきたいと、千葉県小学生連盟の理事長からも依頼されており、講師の日本掌小学生連盟理事長である工藤先生からも、会いましょうよ、と誘われていたので、少しだけの時間であるが顔を出した。
 会場は千葉市にあるJFAスチール(株)の「宮崎クラブ」という健康保健会館。 JFAスチールというのは、2003年に川崎製鉄とNKKが統合してできた会社で新日鉄に次いで日本第2位の製鉄会社。世界では第5位の営業規模を誇る。宮崎クラブというのは、千葉の川崎製鉄が保有している立派な研修施設。
 講習会はすでに始まっていた。役員室に通されるまでの間に千葉県小学生連盟の役員さん達から挨拶を受けた。過去に日体協指導員養成講習会で受講された顔なじみの方達が多かった。日本協会からは、新しく国内事業本部長に就任された下山先生が見えていた。講師室に通されて、下山先生、工藤先生、日本小連の山下総務委員長と挨拶を交わし、近況を10分ほど語り合って、その場を辞去した。
 夕方6時から、東京の東洋高校にて「さいかち会」という卒業した生徒の父母達で作る外郭団体の運営委員会がある。千葉市から電車で約1時間で東洋高校に着いた。役員会に出る前に、地下の体育館で練習している男子バレー部に顔を出した。国体の関東ブロック代表も先週決めている。インターハイの雪辱を子供たちと共に誓い合って、その後、役員会に出席した。これから1年間、この会の副会長を務める。しかし、土曜日のこの時間帯に会議とは、ちと辛い。明日の筑西市でのクリニックのために、この日は役員達と反省会(飲み会)もしないで、早々と帰宅した。
 明日には、雨も止んでいてほしい・・・。

9/1(木) もう9月・・・

 8月は休みもなく、疲労も蓄積した。インターハイに始まり、ダブルの講習会で終わった。ここらで2日続けてのお休みが欲しいところであるが、今週を乗り切ればそれも可能になるかな?
 今週末の4日(日)は、茨城県筑西市総合体育館にて第3回のママさん94名対象のクリニックを開催する。講師は丸山由美さん、現役選手の多治見麻子さん、そして私も進行役をやりながらお手伝いをする。心配は、速度の遅い台風12号。3日までに本州を通過してくれれば良いのだが、雨量が異常に多く心配している。
 台風よ、速度を上げて、早う通過せんか!

8/31(水) 千葉県名産に泥鰌とハンマーが追加?

千葉県名産は南京豆(ピーナッツ)ではないか?その通り!そして、新たにタイトルの2品が加わった。
 泥鰌とは「どじょう」と読む。民主党の新党首で新総理大臣に任命される千葉県船橋市から選出された野田さんのこと。千葉県としても、初めての総理大臣を輩出することになる。野田さんは、地元の県立船橋高校(地元の人は、「けんふな」と呼ぶ。「いちふな」はスポーツで名高い市立船橋高校のこと)出身で、現在の船橋市長は同校の柔道部で15年先輩にあたる。野田さんの弟さんは船橋市議である。歴史が野田総理大臣を産んだ、と私は思っている。そして野田さんは、意外にも(失礼!)「震災復興と原発問題」の2大責務をやりとげるかもしれない。アメリカとも上手に連携して沖縄基地問題も沖縄住民の民意を取りつけてくれるかもしれない。今は、泥にまみれた「どじょっ子」でも、大泥鰌に成長して頂きたい。但し、野田さんはお酒が大好きらしいですが、大泥酔は、今後控えてほしいですね。
 ハンマーとは、ハンマーを投げて昨日の世界選手権で金メダルを取った室伏選手のことである。彼の出身校は千葉県にある成田高校。陸上の強い学校である。マラソンの増田明美さんもここの出身である。室伏選手は、私が勤務する会社の社員でもある。平常は中京大学にてトレーニングしているが、時々会社にも現れる。
 彼のお母さんと会ったことがある。1980年モスクワ・オリンピックが開催された。日本はUSAと一緒に参加をボイコットした。私の勤務している会社は世界で社名を宣伝する初めてのビッグイベント参加のために社員を10名ほど送り込んだ。入社して2年目の私もその中に選ばれ、羽田空港からモスクワに飛んだ。同じ飛行機に室伏選手のお母さんであるセラフィナさんが搭乗していた。お母さんは、確かルーマニアのやり投げのチャンピオンであった。セラフィナさんとは、フランス語で会話した記憶がある。室伏選手は、その時5,6歳であったろう。親父さんはハンマーを投げ、お母さんはヤリを投げ、本人も投げやりにならず、投擲(とうてき)種目を選んだ(選ばざるを得なかったかもしれない?)。
 野田さんは、おやじギャグが得意ということだ。野田さんに倣(なら)って、私も一つ・・・。
 千葉県は名産を生む土壌(どじょう)があるのです。お後がよろしいようで・・・。♪テケ・テン・テン・・・♪

2011年9月1日木曜日

8/30(火) 日体協公認指導員養成講習会in千葉県 終了

 4日間という短い期間であったが、朝から夜まで計30時間の講習会を終了した。今日は、30時間終了した後に、最後の実技検定を行った。
 皆さん、社会人になって、久しぶりの試験とあって、結構緊張していた。コートを6分割して各ゾーンにサーブを入れるコントロール試験を行った。各ゾーンに2回ずつ入れるのであるが、大学を出たばかりの受講生であっても、30名の受講者の中で最高は10回であった。
 もう一つの実技試験は、受講者1人対3人のレシーブ。昨日はモデルで今夏のインターハイベスト16の敬愛学園女子バレー部21名の高校生がいたが、きょうは受講生同士でのレシーブとなり、レシーブ役の受講者は、ときどき足がもつれる場面もあった。怪我人がなかったので、幸いであった。
 午後4時には、閉講式を終え、体育館と講義室、役員室を清掃し、お手伝い頂いた千葉県と船橋市の家庭婦人連連盟の役員さん達にお礼の言葉を述べて会場の船橋市総合体育館を後にした。
 夕方からは、毎火曜日活動している我がソフトバレークラブの練習に行った。今夜はいつになく参加者が多く、20歳代から75歳まで、30名ほどいた。体は疲れていたが、仲間とのソフトバレーは楽しい。明日は会社で眠ってしまうかもしれない・・・。

8/29(月) 日体協公認指導員養成講習会in千葉県

 表記の講習会の3回目。受講者には、今日のような平日を講習日とすることを避けたかった。しかし、3.11の震災での影響などがあり、土日での開催は調整会議でも努力したが取れなかった。それでも、30名の受講申込者がいたことには感謝したい。
 今日の講師には、2週間前に新潟県で開催されたFIVB(国際バレーボール連盟)コーチコースの主任講師でもあった足立さんを招聘した。千葉県では2年前の講習会に引き続いての講師依頼であった。足立さんは、現在日本人として唯一現役のFIVB公認インストラクター(講師2級)である。以前は、ミュンヘン金メダリスト監督の松平康隆氏、世界にバレーの基本を確立した豊田博先生がいらしたが、現在は講師3級、つまり名誉インストラクターとなっており、現役日本人インストラクターは、足立さんしかいない。足立さんは、宮崎県の高鍋高校を卒業した後、単身USAに渡り、奨学金を受けながら大学でバレーを続けた。その後、プロ選手として活躍し、スイスに行き大学の講師、クラブチームの指導、更にフランスに行き大学の教師やナショナルチームの指導に携わり、FIVBの講師としてかれこれ30カ国で講習会を開催している。
 足立さんの英語は、ジャパニーズ・イングリッシュ丸出しで、我々日本人には非常に分かりやすい。まるでカタカナ読みしているような発音と中学生レベルの文法の英語で話してくれる。足立さんに、先日そのことを聞いてみた。そうしたら、次のような返事が笑みとともに返ってきた。「渡邉さん、日本人には日本人が判るような発音を敢えてしているのです」。しかし、日本人以外に巻き舌の米語を使っている現場を私は聞いたことはない。どこの外国人に対してもジャパニーズ・イングリッシュである。「渡邉さん、通じればよいのですよ」そんな感じの煙に巻かれた足立イングリッシュである。
 受講者には、足立さんの講義と実技指導は十分納得できた、と大好評であった。FC東京総監督で専修大学教授の吉田先生は第2回目の講師であったが、この方も足立さんに陶酔している。Vプレミアの監督さん達にも足立さんの信奉者が多いと聞いた。
(画像は、Mr.足立。この人を日本国内の講習会でも活躍して頂くようにしていくのが私の任務。良いものは良い、ということを認識して頂かなくてはならない。足立さんは、この8月から、動画を用いて、月2回のパソコン通信でのライブ講習会を始めた。申し込みの会員は、すでに50名を突破したようだ。より良い指導者を目指す人達は、まだまだいるようだ) 
 

8/28(日) JVA指導普及委員会主催の指導者研修会

 毎年この時期に開催されるのが、明治学院大学を会場にして行われている公認指導者研修会。例年は、JVA公認講師の研修会と併設されて開催されるのであるが、今年は、日体協公認コーチ・上級コーチの指導者対象のみの研修会となった。公認講師対象の研修会中止の理由は、JVAが7月に突然提案してきた「公認講師、は70歳定年制」と関係しているようだ。
 本日の講師の一人である中村四郎先生からは、「このような定年制には絶対反対である」と受講者に檄が飛ばされた。審判員は年を取れば視力がボールのスピードに追い付けなくなるので、審判員に対する定年制(名誉審判員と称される)の理由は理解できる。しかし、指導者は一生指導者である。どこの世界に指導者が70歳で定年なんて規定があるか!中村先生の怒りは、その後の懇親会でも収まらなかった。
 研修会は、明日もあるが、明日は千葉県協会にて日本体育協会から委託されている「公認指導者養成講習会」の3回目と4回目が開催される。そして、私がその運営責任者だ。明日は、JVA研修会は欠席する。