2012年2月28日火曜日

2/27(月) Today is my birthday



 きょう60回目の誕生日を迎えた。還暦とも言う。私の父親は47年間の短い生涯であった。父が経験できなかった年月を生きていることが不思議な感覚として私を覆っている。会社の方も3月10日で33年間お世話になって定年退職する。私の世界が変ろうとしている。

 夕方に英会話教室4回目に行った。例のごとく、少し早めに教室に入り、講師のアメリカ人Mr.コナーにコーチング現場の生きた英語を2,3質問する。7:00p.m.になって、今晩は受講者2人だけで教室が始まった。ロールプレイ(役割をお互い演じての英会話練習)のなかでbirthday(誕生日)のことが出てきた。

 ”When is your birthday?”

 ”My birthday is February 27th. Today! ”

  えーっ、それは本当のことですか?と講師のコナーがちょっと驚いて、授業は続けられた。途中、休憩時間が挟まり、後半が始まろうとした時、コナーが外に出てコンビニで急いで買ってきたらしいポリ袋を取りだした。

 ”Here you are、Takashi. Happy birthday!” 

なんと、コナーは、わざわざ私のためにギネス缶ビール6本セットとアメリカ人らしくバーボンのワイルドターキー小瓶を買って来てくれたのだ。語学学校の教員の給料は決して多くないのを私も知っている。驚いたのと有難いのとが入り混じって、その後の後半の授業は、ほんわり温かいものになった。

 学校を出たときに、従兄の子供たちやママさんバレー、ソフトバレーの仲間達からお祝いメールが携帯に入ってきた。私はへそ曲がりなのか、20歳過ぎの誕生日は、人からお祝いされるより人に感謝する日と考えている。その意味で、周りの人たちに感謝したい。これからも、私は自分らしく歩んで行く。但し、助言、忠告、諫言、叱責には素直に耳を傾ける。素直さをなくしたら、ただの頑固爺になってしまう。

(画像は、コナーからのプレゼント。人の情けは温かくて有難い。この夜は、東京も特に寒くて思いやりが余計身に沁みた)

2/26(日) 花キューピットソフトバレー



花キューピットとは、花の宅配便というシステムに加盟しているお花屋さん達の団体名。花キューピットさんの社会貢献策と東京都ソフトバレーボール連盟の理念が合致し、6年前よりソフトバレー交流大会が開催されている。
 今年の会場は世田谷区にある大倉第二体育館(旧厚生年金体育館)。小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅で下車した。タクシーを探そうとして、ふと40年前を思い出した。この近くのアパートで浪人生活2年目を送っていた。安いアパートであったが、日の当らない4畳半一間のアパートであった。そこから歩いて1分のところに小さな焼き鳥屋さんがあった。ある日、ふらっと入ったら大将の女将さんのイントネーションが田舎の言葉によく似ていたので尋ねてみたら、同じ酒田市の出身者であった。その日から週に1回はその焼鳥屋さんに行くようになり、半年後には、家の中まで入れて頂き、高校生の姉弟とも仲良くなっていった。大将は、その後、20年ほどして亡くなり、息子が後を継いだ。
 そんなことを思い出して、ふらふらと駅から商店街の方に歩いて行ったら、店はまだあった。店の入り口に貼ってあった電話番号を書き取り、この日は挨拶もせずに、駅の方に戻って行った。
 駅からタクシーに乗って体育館に着いた。都役員に3月18日の全国審判長会議・研修会での東京都ソフトバレーボール連盟の協力をお願いした。モデルチーム、審判団と14名ぐらいは必要になる。都連盟からは快く引き受けて頂き、そこを後にした。
 夕方からは、港区の東京アメリカン・クラブにて子供たちを指導した。金曜日からアメリカンスクールはスキー教室で北海道などに行ってきた直後なので、今夜の出席者は5名だけであった。この日から、アシスタントを連れていくようにした。今回は、外国語大学生の男子2名で交代でassistant(アシスタント)を務めてもらうようにした。18名の中学生の指導は、1人では目が行き届かない。2人いれば、十分な指導ができる。

(画像は、熊本県ソフト連盟理事長の立石さんから送られてきた柚子(ゆず)の親分みたいな大きな晩白柚(ばんぺいゆ)という果物。どうやって食べるんだろう?それとも風呂に入れるのかな?)

2012年2月25日土曜日

2/23(木) 新潟からの訪問者



 12月の末から1月上旬にかけて合宿練習のお手伝いに行った新潟県立新潟中央高校の桂山先生が東京にやってきた。お嬢さんの大学受験に付き添ってきたのだ。彼がまだ日体大学生の頃、大学の合宿寮に私は仕事で良く行っていたものだ。納品を終えても、しばらく学生達と話しこみ、時には寮の点呼の時間までいたこともある。

 先生とは、東京駅の銀の鈴で待ち合わせた。広い東京駅では、ここが一番わかりやすい待ち合わせ場所だ。先生は既に人混みの中でうんざりしていた。新潟市も大きいと言っても、日本一乗降客の多い東京駅の人の流れを見るだけで息が詰まるのであろう。

 さっそく、駅の外に連れ出し、丸の内方面に出た。皇居が直ぐそこに見えるゆったりした空間がある。ビルが林立している。その中の一つに無造作に入り、16階までエレベーターで上がり寿司屋に入ろうとした。先生が私の袖を引っ張る。

 「なべさん、ちょっとこれは高すぎますよ」。

 ビルだから高いのは当たり前だがどうもその高さではなく、値段が高いらしい。よく値段を見ると、1人前のランチで8,000円!とある。

 「きょうは、パスタでもしませんか?」

 「そうだな、新潟の人に寿司とは野暮ったいな。よし、パスタだ!」

 ということで、同じ階にあるオープンキッチンタイプのパスタ屋さんに入った。やれやれ・・・。

 1月末の県新人大会で初優勝の後の展開などを聞き、今後の予定を確認しあった。目標は北信越インターハイへの出場と国体そして春高バレーの出場でベスト16以上を目指すこと。まずは体力測定を行い、体力面を強化する。それから、新しい戦術の工夫である。1月の新人戦は、新1年生が入部していない時期の大会。さほど参考にならない。桂山先生のチームにも有望な1年生が入ってくる。ここで新一年生を加えて、全員が競争だ。チーム内で競争しないチームは、チーム外で、つまり学校対抗で戦えない。リベロを含めて8名をスタメンで固定していてはいけない。選手に甘えも生じる。スタメンは流動的にして、12名のうち誰が出ても遜色ないレベルにすることが怪我人対策にもなる。

 新潟市に今度行くときは、3月末のweekdayになりそうだ。それまでの土日は、私の方も日本協会や日本ソフト連盟、千葉県協会の役員会でふさがっている。

(画像は、パスタ屋さんで出てきた食後のデザートのアイス・ケーキ?しばらくは、冷気がグラスからテーブルの方にゆったりと流れ落ち、見ごたえがあった。窓ガラスからはスカイツリーも見えた。たまには高いところで高い食事も良いものだ) 




2/22(水) 「ソフトバレーボールの本」カメラ撮りの終了

3日間かけて撮ったカメラ撮りが今夜で終わった。今夜は、気温も春の兆しか先週のように震えるほどの寒くさではなかったが、体育館の中でストーブを出してカメラ撮りに入った。今回はチームプレーを中心に撮った。
 撮影を終えて、メンバーの中の4人ほどで夕食会をジールさんご指定の例のクラブハウスで行った。簡単に言えば、ごくろうさんの飲み会である。この飲み会には、必ず可愛いおねえさん達が付き合ってくれるから、私も和む。やはり、女性のちょいと違う視点が会話には必要だ。地元の墨田区バレーボール協会で長年理事長の要職についている小林さんも女性にはいつもたじたじの呈である。コート上では実年齢より10歳若く見える華麗なプレーをするが、コート外の論戦では女性連には全く歯が立たない。
 本が出版されたら、ここのクラブハウス(小料理屋さんだが)で出版記念パーティをやりましょう。その後のカラオケ大会はこの渡邉が招待しましょう!と盛り上がって閉会した。
 『人生、意気に感ず』。ジールの皆さんに感謝!

2/21(火) 我がソフトバレークラブ メンズ予選に出場?



一昨年のレディース&メンズに、我が大穴クラブは千葉県代表になり出場した。今年の予選会にも出場するという。3月4日に予選会がある。この日、私は日本バレー協会の全国指導普及委員長会議なので県予選には顔を出せない。練習は、今週と来週の2回しかない。構成チームのメンバーの顔をみたら、我がクラブに確かに登録しているが、普段さほど顔を出していない39歳以下が多い。
 大会に出るだけのためにJVAのMRS登録をして、そのためにだけ練習に来る。できれば、普段から日常的にクラブに来て多様な年代の仲間達とソフトバレーを楽しめないのかな、と思う。
 まあ。これを契機に月に1回でも練習活動に来て仲間とつながりを持って行って欲しいと願っている。
(画像は、愛読者のKさんから送られてきた咲き始めた梅の花です。Kさんのお母さんを病院にお見舞いに行った時に見つけたそうです。春はそこまでやってきています。お母さんも早く良くなると宜しいですね)

2/20(月) アテネ・フランセ英会話教室ー3



 三日目。受講者は相変わらず3名の少人数。こちらとしては休んでいる暇がなくありがたい。授業の始まる30分前の6:30に教室に入り、他の2人の受講者が来る前に講師のCooner(コナー;35歳位?の男性)にバレーの指導の上での具体的な質問を浴びせる。この時間が、私にとっては一番有効な時間だ。更に、彼はEmailでも質問を遠慮なくどうぞ、と言ってくれているので、週に3回は質問している。

 きょうはアテネ・フランセに行く前に、JR御茶ノ水前にある丸善書店に行き、英英辞典を購入した。いつまでも英和辞典を引いているのでは、日本語で考えて英語で話す習慣が抜けきらない。英語で考えて脳に浮かんだ英語をそのまま言葉に出す方が自然だ。母国語である日本語を介在させるよりも英語で新しく出てきた英語の語彙を理解する方が、言語能力をずっと早く向上させることを示した研究がおびただしくある(『人を動かす英語』ウイリアム・ヴァンス著、PHP新書2011年)。ヴァンスさんお薦めの英英辞典がLONGMAN現代英英辞典。昔から名前だけは知っていてポケット版(1,000円)は持っている。ハードカバー版には、例文が多く載っているということもお薦めの理由のようだ。

 お値段が驚く。4,700円!む・む・・・しかし、ここはこれからの海外での指導もある。酔っぱらって最終電車で家と反対方向に行ってしまって、タクシーで自宅に帰ったことを思えば・・・(比べることがらがおかしいが)・・・思い切って購入した。

 英会話教室に通って、3週目を迎えた。大事なのは継続だ。3カ月が1つの目安。アメリカンスクールの子供達(kids)に英語で、おやじギャグを言えるまで、頑張る。しかし、高校生時代にこれほど英語を勉強していればなあ。I should have stdied more English to high school age.

(画像はLONGMAN英英辞典。1978年に初版が出されて、現在のものは5訂版。絵もカラーになり、見やすくなっている。更に、この5訂版にはDVDが付き、Online(オンライン)でも検索できる。そして携帯にも取り入れられるサービス機能がある)

2012年2月23日木曜日

2/19(日) アメリカン・スクールの中学生に指導開始




 本日からアメリカン・スクールの中学生(girls)にバレーボールの指導を開始した。集まってきたのは17名。小学校からアメリカンスクールに通っているので、日本語は全く話さない。出席(attendance)を取ることから始まった。Michel、Marinn・・・17名も呼んでいると、誰が誰だか名前と顔が一致しない。

活字も小さいので、次回から大きな活字での出席簿をお願いした。

 ”Come here!”で始めたのは良かったのが、基本的な英語、例えば「一列に並んで」「2人1組になって」「ネットを挟んで、ネットから3m離れて立って」などの指示の英語がとっさに出てこなかった。スタッフのネットの張り方も雑で、ボールも準検定球、空気圧もまちまち、アンテナも付けていないなど、施設・用具のほうも気になり肝心の英語がとっさに出てこない。初日は自己採点で50/100点。

 指導している内容は素晴らしいんだけど、言葉がね・・・という評価だ。しかし、こんな私でもフランス語はペラペラなんだから、英語ぐらいで挫折なんかしない。だいたい、アメリカ人はフランス語を話せる人はほとんどいない。アメリカ人にはフランス語は難しいらしい。・・・なんて屈折した優越感を抱いている私ではあるが、早速今夜から英語の日記も付けるようにして、きちんと英語と向き合うようにした。私の恩師の1人にアメリカの大学で長く教鞭を取ってきたK先生と言う方がいる。先生から次のようなメールが届いた。

 「渡邉さん、ネイティブのアメリカ人のマネをすることはありません。大体が60歳近くになってアメリカ人のように話そうとすること自体が間違っています。まず、発音を正確に、短いセンテンス(文)で、ゆっくり話すことです。不足の部分は子供たちが補ってくれます」

 これで目から鱗(うろこ)が落ちた。次回は、予習をしっかりやって70/100点を目指そう。

(画像は、ロシア大使館の近くから見える東京タワー。本日は指導初日と言うことで、早めにアメリカンクラブのある地下鉄神谷町駅に着くようにした。夕食を取ろうとしたが、日曜日の港区はレストランなど閉まっているところが多かった。5時になってようやく見つけたインド料理店チャイを飲んだ)

2012年2月18日土曜日

2/18(土) Whitney Houstonの死を悼んで

先週の土曜日、歌手で女優のホイットニー・ヒューストンが、ロスアンジェルスのホテルの彼女の部屋で亡くなっていたのが発見された。48歳であった。死因に対しては公式発言はまだ発表されていない。しかし、家族は彼女が薬物とアルコールの依存症であったことを話している。
 彼女は、1963年ニュージャージー州で生まれた。彼女は教会の聖歌隊のメンバーとして歌い始めた。彼女の母親はゴスペルシンガーであった。10代から頭角を現し22歳で最初のアルバムを出した。”I'm every Woman”、”Greatest Love of All”、”Saving All My Love for You”、”How Will I Know”、”I Have Nothing”とヒット曲を飛ばした。
 1992年に日本でも人気俳優のケビン・コスナ―と共演した映画『ザ・ボディガード』は世界的に大ヒットした。入場料金だけで4億ドル以上チケットが売れた。更に驚くべきことに、その時のカバー曲”I Will Always Love You”は4400枚も売れたということである。これはアルバム売上で歴代4位に入った。
 同じ年に、彼女は男性歌手と結婚して、翌年女の子を授かった。結婚の前後から、彼女の言動に変化が出始めた。ショウを突然キャンセルしたり、遅刻したりするようになった。声もしゃがれてきた。マスコミは薬物とアルコール依存症と書きたてた。
 2007年に離婚して、彼女は依存症を認め、治療のために入院した。
 2010年、治療を終えて、彼女はステージに復帰した。そして、これからの復活を期待されていたところであった。
 以上は、VOA(Voice of America:ボイス・オブ・あめりか)というアメリカ国営放送が英語を母国語としない人に向けて易しい英語で放送しているニュースを私の拙(つたな)い英語力で翻訳・要約したものである。彼女の葬儀は本日、土曜日に彼女の生まれ故郷で行われる。
 お金も名声も手にしても、人は悩みを持つ。お金も名声もなくとも、人は悩みを持つ。生きること自体が悩みの連続なのかもしれない。しかし、人生には悩みだけでなく喜びもある。初めて人前に立って歌って拍手を頂いた時、自分のレコードが出た時、恋、結婚、出産・・・。薬物やアルコールに依存していたから、彼女を弱い人とは、私は思わない。それも人間であるからこそだと思う。依存症から抜け出そうと努力したことを私達は忘れてはならない。短い人生でも、彼女には充実した人生であった。天国でも、私達のために歌ってくれることであろう。
 ホイットニー安らかに・・・。
 さて、海外でバレー指導を本格的に行うために英語の再学習を始めた訳であるが、東京American Clubでの指導、アテネ・フランセでの英会話教室受講、VOAでの自習、といよいよ英語漬けの生活になってきた。ホイットニーの易しい歌詞での歌を覚えるのも英語学習になる。しかし、あのキーの高い声が出るかな・・・。
 明日の夕方から、いよいよAmericanスクールの中学女子生徒達にバレーの指導スタートだ。

2/17(金) 東京に2回目の積雪



昼までは晴天であったが、夕方から小雨になり、その後、みぞれ雪になった。勤務先の近くのJRお茶の水から通勤電車に乗って家路を急いだ。JR西船橋に着いて外に出た。雪は、ぼた雪になって暗い空から舞い落ちていた。
 家に入って、湯船にお湯を入れる。11月に故障した右肩の痛みがまだ完治しない。良くなってくると、無理して酷使してしまい、また元の黙阿弥となる。湯船の中で、ゆっくりと肩を回し、寒さで強張った筋肉を伸ばす。風呂から出て、ストレッチを行う。焼酎のお湯割りを作って、胃袋に少しずつ流し込みながら・・・ホッと一息入れて・・・撮り溜めたTV番組を見る。
 明日はお休み。資料整理をしよう。あと10日で誕生日。いよいよ大台を迎える。

(画像は、3階の我が家から見下ろす駐車場にある愛車。真ん中のトヨタの白いノア。うっすらと雪が積もっている。後ろにある2階建てのアパートの屋根にもまだ前夜の積雪が残っている)

2012年2月16日木曜日

2/15(水) 「ソフトバレーの本」 カメラ撮りー2




 先週の日曜日に8時間かけて第1回のカメラ撮りを行った。今夜はその2回目を墨田区で活動しているジール・クラブさんに再度お願いして行った。東京はまだ寒い。メンバーには撮影のために半袖姿でモデルになって頂いているが、皆さん方、誰も一言も愚痴を言わず、カメラマンの指示に従ってくれる。

 本は、年中、書店に並んでいるわけだから、長袖では軽快感が読者に伝わらない。それで、Tシャツを着用して頂いている。オレンジ色とブルー色の鮮やかなカラーのTシャツをミズノさんに提供して頂いている。 今夜のカメラ撮りは、ブロックの構え、移動、空中姿勢からスタートした。普段、自己流でプレーしているメンバーの方達に私の方から一般的な基本のフォームを指示していく。確かに、基本のフォームより、自己流のフォームの方が動きやすい場合もある。しかし、本の中では誰にでも受けいられる基本を紹介しなければならない。自己流を少し抑えて頂いて、基本の動きを繰り返しプレーして頂いた。

 楽な姿勢が必ずしも基本の姿勢と言うわけではない。楽ということは、時には手抜きにもなる。そのスポーツに適切な姿勢、構えが基本の構えということだ。例えば、ブロックの構えで、腕を肩より高く保持して構えるが、これは相手の速攻に素早く対処するためと自分の手・腕を周辺視野の中で捉えておくためにそのようにする。サービスされた直後から腕を挙げておくことは楽ではない。腕をだらりと腰の下に下げたままでいる方が楽だ。しかし、それでは0.5秒の相手スパイカーの速攻に腕を出すのが遅れてしまう。また、腕を腰の下から肩の上まで挙げるまでのに手・腕がバラバラになってフォームが崩れてしまう。崩れたフォームでブロックに跳べば、手・腕に当たったボールはコントロールできない。どこに行くかわからない。ブロックアウトになったり、吸いこんで(ネットとブロッカーの間に入って)しまうミスになりがちだ。

 練習後、夕食を近くの寿司屋さんにメンバー7人と向った。今回のモデルの御礼はTシャツだけでは足りない。出版時にモデルの御礼で食事とカラオケ招待を約束して食後に別れた。カメラ撮影はあと1回、来週の水曜日。当日は、寒くないことを祈る。

(画像は、ジールさんのクラブ・ハウスとも言うべき「清繁』という寿司屋さん。暖簾から顔出しているのは銭湯から出てきたような雰囲気のジールの女性メンバー。アップでなくて申し訳ないが、ジールの女性メンバーには美人さんが多い。モデルとしてこのチームにお願いした最大の理由である。週3回の練習後、数名は必ずこのクラブ・ハウスを訪れて焼酎お湯割りを飲みながら談笑しているようだ。)

2012年2月15日水曜日

2/14(火) バレンタインDayのチョコは?



この日は、269年に時のローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンテニウスに由来する記念日であるとか。もともとは男女の愛の誓いの日なのだが、日本では女性から男性に一方的にチョコレートを贈って愛を伝える習慣に変って行った。更に「義理チョコ」 「ホワイトデー」などの日本独自の習慣ができてきた。

 私も、チョコをチョコっと3人から頂いた。ママさんバレーとソフトバレーの仲間達からである。私の場合は「義理チョコ」よりご縁の薄い「ギリギリ・チョコ」であろう。もしくは、「義理チョコ」と言うより「人情チョコ」と命名する方が良いのかもしれない。あのオジサンにもあげておかないと可哀そうじゃない?そんなお情けのチョコでもオジサン達は嬉しいのだ。我々オジサン達は、義理と人情で世間を渡り歩いているからね。

 しかし、薄っぺらな義理チョコでホワイトデーに2倍返しをするオジサンはつらいねえ。フーテンの寅さんじゃねえが「男はつらい・・・」。そういえば、おばちゃんが90歳の老衰で亡くなったねえ。役者名の三崎千恵子さんの名前は知らなくとも、おばちゃん役のあの人だ。名前が「おばちゃん」かと思ったくらい定着していたねえ。全48作品に出たそうだ。本当に、あの役者さんは日本の「おばちゃん」だね。

 昭和がまた遠くなった・・・。

(画像は、私への薄くない「人情チョコ」。煎れたてのコーヒーと一緒に彼女達の熱い情を感じながら頂きました。ありがたや・・・)






2012年2月14日火曜日

2/13(月) アテネ・フランセにて英会話受講 2回目

週に1回だから、ずいぶん余裕があると思ってたら、何ということはない。直ぐに1週間が過ぎて、あたふたと夜7時の授業開始前に30分ほど予習をやる羽目になった。但し、受講しているのは初級なので、予習も本番も、さほど苦労はしない。先生の言うことの95%は十分理解できている。
 教室に開始時間20分早めに入ると、まだ他の受講者は来ていない。そこで、私は、先生のKONER(コナー)に質問を浴びせる。きょうは、「練習時、中学生を前にして、『集合!』というのは何ていうんです?」というのを質問した。
 What do I say in English when I call the players near me?
 回答は、4つ返ってきた。
 ”Come hear!”
 ”Come over hear!”
 この2つの違いは、後の表現の方が、遠くにいる選手を呼ぶ場合。成程、overというのは山を越えてやってくるような距離感のあるイメージがある。
 そして、母親などがやんちゃな子供に良く使うのが、
”Get your butts over here! Now!”
訳すと「ほらほら、いい加減に腰を上げてこっちに来て!ほらってば!」てな感じかな?
 さらに、スラング(slang:俗っぽい言い方)になると、
”Move your ass!”訳すと「(尻を動かせ!)来いよ!」。
 さすが、アメリカ生まれのアメリカ人男性教師である。良く知っていること。
 さて、今週日曜日から指導するアメリカンスクールの子供たちに間違ってslangで言っちゃったらどうしよう?その子達、驚くだろうな!?

2/12(日) 「ソフトバレーの本」のカメラ撮り

本の制作の方も、今日からカメラ撮りの段階に入った。きょうは昼から江東区内の小学校で撮影をスタート。夕方からは、墨田区立体育館のサブアリーナに移動して撮影。モデルになって頂いているジール・クラブの14名の方々は嫌な顔もされないで付き合って下さる。
 この日、終了したのは、夜の8時半。まだ半分残っているが、来週の水曜日夜ということになった。1冊の本が出来上がるまで、手順が多い。そして、多くの人が携わっている。何としても、良い本にしたい。
 遅い夕食ということで、JR錦糸町駅地下の大衆酒場にクラブの代表者達と入った。メンバーの方も10名一緒になってソフトバレー談義に始まって最近の世相の話まで話は尽きず、店の閉店時間まで談笑して、別れた。

2/11(土) 第4回mizuno東京都民ソフトバレー交流大会




 主催は、東京都と東京都スポーツ文化事業団。都民の40歳以上の男女ミックスのチームが39チーム集まってきた。このうち、個人参加者が13名おり、3チームを形成して参加した。会場は、JR千駄ヶ谷駅から歩いて1分の東京都体育館サブアリーナ。

 今回のチーム数で、サブアリーナの8面は満杯状況だ。実は、主催者の東京都とはこのイベントをやる前に1つの条件があった。サブアリーナが満杯になったら、メインアリーナを使わせて頂くということを約束してスタートの運びになった経緯がある。

 都民であれば、国際大会や全国大会が毎週のように開催される東京都を代表する東京都体育館のメインアリーナで一度はプレーしてみたいと思うであろう。バレーのコートであればゆうに4面は取れる。ソフトバレーのコートであれば、最低でも24面は取れるであろう。移動式の支柱を使って上手くレイアウトすれば32面は取れる。ざっと190チームは参加できる計算だ。同じ屋根の下、同じ空間での交流大会としては日本一の参加チーム数となる。

 ソフトバレー愛好者の夢を叶えるように努力するのが、私の任務と考えている。東京都ソフトバレーボール連盟の仲間と一緒に、来年度実現に向けてこれからもコツコツと実績を積み上げていきたい。参加してくれた愛好者仲間にも感謝する。ありがとう、そしてこれからもまだまだ続けよう。

 昼からサプライズゲストの白井貴子さんも金メダルを持参されて参加してくれた。個人参加者のチームの中に入りモントリオールオリンピック決勝戦を彷彿させる素晴らしいスパイクを放っていた。今年の7月で、齢60を迎える白井さんは、後半戦で肉体的に疲労の色が濃くなってくると、戦術を口撃(こうげき)に変更して、気弱そうな審判の判定に大きな影響を与えるようになっていった。

(画像は、開会式での競技委員長の説明を耳の不自由な方達のために通訳している手話通訳者。そして、参加チームのみなさん。この交流大会には精神障害者の方達も参加している。身体的にハンディを持っている方達でもこのソフトバレーはプレーできる。みんな仲間だ。バレーボールは助け合ってボールをつなぐスポーツ。もっと、もっと都民に広げよう。)

2012年2月10日金曜日

2/9(木) 韓国 バレーも八百長疑惑

何と哀しい記事が載ったことか。朝日新聞朝刊によると、韓国のプロバレーボール・Vリーグでの八百長疑惑が浮上し、現役選手らが逮捕されていたことがわかった。韓国では昨年、プロサッカー・Kリーグでも大規模な八百長事件が発覚しており、プロスポーツでの後を絶たない疑惑に衝撃が広がっている。
 今夕の朝鮮日報では、女子選手にも疑惑が広がっていると報じられていた。
 自分のプレーを手抜きしてお金を稼ぐ選手は、真のプロ選手ではない。スポーツのファアプレー精神を堕落させる行為である。ルールを犯してまで、安易にお金を稼ごうとする輩(やから)は、スポーツの世界から排除されるべきである。
 プロ選手は、自分の究極のパフォーマンスで観客を魅了して、その対価としてお金を得るべきである。わざと失敗する、わざと負けるということは自分への冒涜でもある。努力をして、自分をさらなる高みに持って行くことが人間の営みでもある。
 私は、そんなに偉そうなことを言えるほど清廉潔白な人間ではないが、自分が道徳的に安易な道に流れそうになったときには「天が見ている」という声が聞こえてくる。人が見ていないから良いというものではない。ばれないから良いというものでもない。
 甘い誘いがあった時に家族、恋人、親の顔、応援してくれる方達、仲間達の顔を思い浮かべることができれば、悪の道には染まることはないと思うが、私の考え方が甘いのであろうか。見つからなければ、発覚しなければ、やり損だと、私は思わない。

2/7(火) ソフトバレー定期練習日

今晩は、我が大穴ソフトバレークラブの定期練習日。
 先週から、課題練習のテーマを替えた。ブロックの基本練習を2カ月間6回で行う。1回15分という短いドリル(繰り返し練習)であるが、基本的なことを復習する。特に構え、ステップ、手の出し方、シャットの瞬間、ブロック後の動きを段階を踏んでやっていく。
 私は、数多くのチームの練習に参加しているが、ほとんど課題練習はやっていないようだ。ウオーム・アップ(準備運動)をやって、対人パス、シートレシーブ、スパイクと短時間で進んで行き、ゲームを行う。生涯スポーツだから、堅苦しい基本練習などは不要、体が温まったらすぐゲームをやるのが楽しくて良いではないか、と考えている愛好者が圧倒的である。確かに、ソフトバレーはレクリエーションである。動くこと自体を楽しむことは大事である。しかし、そこにプラスして、たとえ15分でもよいので課題練習(テーマ・ドリル)を入れることで、「楽しみの深み」が増す、と私は考えている。我がクラブのメンバーも15分だけなら、基本も覚えられるし、やりましょう、と同意してくれている。
 そのような課題練習を2,3カ月でテーマを替えて、継続している成果は普段のゲーム練習に反映されている。初心者はもとより中級レベルの方は、ボールコントロールが向上し、以前より確実にミスが少なくなり、ラリーが続くようになる。ラリーが多くなるということは、ネット型スポーツの一番の楽しみである。また、ラリーが多くなることで、運動量も多くなり、心拍数も健康に適切と言われる110~120ほどに上がってくる。当然、公式試合でも好成績として反映され、達成感を味わうことができる。
 私が提案するのは、ただ単に運動することで楽しむだけでなく、あと少しの努力・工夫を付けくわえての楽しみ方もあってよいのではないか、ということである。

2/6(月) アテネ・フランセで英会話受講



 新しいことを始めるときには、いつも緊張感と高揚感がある。眠っていた脳神経細胞が起きだして、ニューロンを伸ばして活性化し始める感じだ。

 20年近く前に、フランス語をしっかりと文法から再学習しようと勤務先近くの語学専門学校アテネ・フランセに1年間通っていた。今回は英会話初級クラスを選択して毎週月曜日の夜2時間通うことにした。

 目的は、来週からスタートするAmericanスクールの子供達へのバレーボールの指導を正しい英語で行うためである。現在、子供たちの数は13名で、全て中学生女子である。

 例えば、「集合!」を正しくは何というのか?辞書的に訳してもダメだろうなということは想像できる。フランス語であれば”Venez ici”なんだが、英語でも”Come here”だけでいいのかな?と色々考えてしまう。先日、アメリカの大学を卒業した友人に聞いてみたら「私のコーチは、指笛をピューと吹いて集合させていたわね」と、非常に個性的な集合のありかたを紹介してくれた。しかし、初対面で映画のように「ピュー!」というわけにはいかない・・・。

 そこで、専門学校の教師の出番というか、活用がある。高い授業料を払っているのであるから、これくらい聞いても良いだろう。

 英会話クラスの受講者は、3人であった。月曜日の夜は学習の時間にはふさわしくないのであろうか?しかし、我々には人数が少ない方が会話が多くなるのでラッキーである。NHK勤務の60歳代の男性とチョコレート関係の30歳前後の女性が私の仲間である。これから3月までの16時間一緒に学ぶ。

 2時間後、学校を出て、1人で御茶ノ水駅に向かった。歩道を歩いている人達の日本語の会話が英語的に聞こえたのには驚いた。早速、2時間の英会話漬で、私の脳が英語脳になったらしい。しかし、駅に着いたころには、日本語が日本語としてクリアに聞こえてきた。電車の中では、なるべく英語で考え事をした。周りの人に迷惑がかからぬ程度に、今夜から英語で考え、英語を積極的に使って行こう。


(画像は、教室で使うテキスト。最近のテキストはカラーの写真が多く、綺麗で分かりやすい。DVDも付いている。20年前のフランス語のテキストはモノクロで絵もイラストであった。隔世の感がする)

2012年2月7日火曜日

2/5(日) ”筋肉博士”石井教授の講義を受講




 書店のスポーツコーナーのトレーニング書籍の棚を見渡すと、背表紙に石井直方(東京大学大学院教授、57歳)のお名前が著者名や監修者名でここ2,3年間で数多く出てくるようになった。石井先生のお名前を初めて知ったのは、2008年に出版された『ストレッチ・メソッド』(池田書店)という本に出会った時であった。従来のストレッチ本は、筋肉を単に伸ばす(ストレッチする)ことを中心に解説されていたが、『ストレッチ・メソッド』という本は、解剖学的な根拠を取り入れて納得させられることが多かった。つまり、従来のストレッチ本では、図解のマネをして各種動作をやるだけであったが、石井先生の著作では、その動作でどこの筋肉が伸ばされているのか詳細に、より効果的に伸ばすためには筋肉が骨にどのように付着しているのか(一関節、もしくは二関節にまたがっているのかどうか)、図解で解説されてあり解りやすい。現在20万部が出版されて、地味なこの分野ではちょっとしたベストセラーになっている。

 また、先生自身がボディビルダーとしてアジアチャンピオンになったこともあるという実証性も納得しやすい。

 その石井先生が、千葉県体育協会主催の「スポーツ科学講座」の講師としてお見えになるということを知り、この日、会場の千葉市にある千葉県総合スポーツセンターに向った。この講座は年2回開催されており、公益財団法人日本体育協会公認スポーツ指導員資格者の資格更新にも認定される。私の所有している上級コーチの資格も4年に1回の資格更新講習会を受けなければならない。来年度が更新最終年であったので、丁度タイミングも良かった。

 午前中の講座は、ドーピング、スポーツ外傷の基礎的なお話が他の講師よりあり、いよいよ午後から石井先生の講義が始まった。石井先生は、書籍の中のお顔と同じ柔和な表情で、パワーポイントでテンポよくお話しされた。本だけでは良く理解できなかった専門用語も最近の知見も入れ解りやすく説明された。床反力(地面反力)、慣性モーメント、心理的限界、筋繊維(遅筋・速筋2種)の種類、コンセントリック・アイソメトリック・エクセントリック、伸張性最大筋力、筋腱複合体、プライオメトリック・トレーニング、SSCなどが話し言葉で良く解った。

 後半は、体育室に受講者約50名が移動して、ドローイン(腹横筋に自分で力を入れてお腹を凹ませるエクササイズ)したままのバックブリッジやサイドブリッジ、クランチ(+ツイスト)などの簡単な筋肉トレーニングを行った。

 私は、教室でも、体育室でも、一番前で受講していたので石井先生と少しお話することができた。お話を通じて、見た目の柔和さと違う芯の強さと少し皮肉っぽい面もあるのが伺われた。

 今回の受講を通じて確信をもったトレーニング理論を用いて、今後のバレーボールの指導に早速取り入れていこう。教えるためには、常に最新の理論を学ぶことが必要だ。また、学んだことを伝え教えなければ、良く学んだことにはならない。類語辞典に『教学』という言葉があった。教えることと学ぶこと、とあった。『教学』を大事にしていきたい。

(画像は、私の書棚にあった石井先生の著作。これらのような解りやすい本を私も出版してみたい。4月に出版予定のソフトバレーの本で実現させたい) 

2012年2月5日日曜日

2/4(土) 菜の花ママさんバレー交流大会inさいたま市



関東各県のママさんチームの中で、積極的に1クラブの主催で市内、隣市、隣県からチームを招待しているチームがかなりある。本日は、その中でも開催数が恐らくトップクラスの年間6回開催しているさいたま市(旧:浦和市)の「菜の花さん」主催の交流大会(50歳以上の部)にやってきた。会場は、埼玉国体でも会場になったコート4面取れるさいたま市総合体育館で24チームが参加した。
 菜の花クラブは、10年ほど前に浦和にある「さつきクラブ」というママさんバレーとして歴史のあるクラブから派生したクラブである。代表は、生島さんという60歳半ばだが、長身で背筋の伸びている姿は50歳代半ばにしか見えないエネルギッシュな女性。昨年は韓国のママさんチームとも交流してきた。忙しいことが、この人の元気の源のようだ。ご主人は、そんな奥様を目立たぬようにサポートしている。
 この日、私は試合のベンチにも座らず、もっぱら役員室でお茶を飲んでいる時間が多かった。途中で、協賛を考えているという企業の方が見えたので、ママさんバレー市場を説明したぐらいで、また役員室でお茶を飲んだり、参加してきたチームの選手達と世間話をしたりで、好々爺のようであった。
 そうそう、私が何でそこにいたのかって?実は、3年前に私が勤務する会社がこの大会の協力社になったからなんです。生島さんとは、10年前に私が埼玉栄高校女子バレー部を手伝っていたときに、今は解体されたクロネコヤマト社の体育館で知り合っていた。

 なんか、最近は昔のことを良く思い出しますな・・・。

(画像は、開会式で挨拶される生島さん。後ろに控えるチームメイトで役員さんもお揃いの明るいブルーのウインドブレーカーシャツを粋に着こなして勢ぞろい。2チームを作って、役員活動とゲームでのプレーとで大忙しであった)

2012年2月4日土曜日

2/3(金) アテネ・フランセで受講申し込み

もう、十数年前になるか、御茶ノ水駅からJR中央線に沿って水道橋駅に向って歩いて5分のところにアテネ・フランセと言うフランス語、ギリシア語、ラテン語、そして英語を教える専門学校がある。私は、会社務めの傍ら、夜のフランス講座に1年間通った。
 35年前に外務省国際協力事業団からチュニジアに派遣され、その国で2年間フランス語を使っていたものの、文法など無頓着の通じればいいやぐらいのフランス語を話していた。そこで十数年前に、きちんとフランス語を勉強したくなり、日仏学院とアテネ・フランセの2つの専門学校でフランス語を再学習し始めた。日仏学院は、一寸すましたような気取り屋の雰囲気があり、私は庶民的なアテネ・フランセ一本に絞り学習した。1年後はフランス語検定試験で2級に合格するほど上達した。
 そして、昨夜は、アテネフランセの事務所を十数年ぶりに訪れ、今度は英会話の講座を申し込んだ。理由は、2週間後に、アメリカン・スクールの子供たちに、この私が英語でバレーボールを指導するからである。今の私の英語レベルでも、指導する自信があるが、定年前で有休も取れるし時間があるので、ここらでまたしっかりと英会話を学習したくなったのだ。
 事務所で、授業料を払い、地下のcafeの隣にある本屋さんでテキストを購入した。建物内部は昔のままで、伝統的と言えば聞こえが良いが、相当古くなった感がした。しかし、その古さには懐かしさと共に安堵感もあり落ち着く。
 来週月曜日の19時から21時まで学習再開だ。どんな方達と一緒に学習するのか楽しみだ。恐らく、男性は少なく、私が最年長者であるかもしれない。

2/2(木) 寒冷乾燥の日本

東京は今日も寒く、乾燥している。 冷蔵庫の日本。
乾燥状態も長引いて、電気店での加湿器の売れ行きは良い。
まさに、天候ビジネス。
日本海側を中心の大雪も、災害からビジネスに転換できる知恵を生み出すことも課題だ。
物事は、マイナスだけでなくプラスの側面もあるはず。
 東京都のインフルエンザ患者数は国の情報発令基準値の30人を上回った。
学級閉鎖や学年閉鎖を行った都内の小学校は1月度だけで332例あった。
バレーチームでも、今後の対策を明確に打つ必要がある。
単に、手洗い、うがいの励行(れいこう)だけでは寂しい限り。
 例えば、各部屋に加湿器の設置。
なければ、昔ながらの火鉢に鉄瓶でお湯をチンチン沸かしておく。
そんなの江戸時代じゃないから無理!というならば、ハンガーなどで濡れタオルを部屋に吊るしておく。これ、実は歌手が夜寝るときに枕元に置いておく丸秘技なんだ。
これは、演歌歌手の双葉百合子さんが言っていた(古い!か?)。
ホテルであれば、風呂場に湯を張っておき、戸を開け放しにして、部屋の中の湿度を上げる。
これも、シャンソン歌手の丸山明宏さんが言っていた(これもレアもの?)。

2012年2月1日水曜日

2/1(水) 2月を迎えて

さあ、2月だ。2月は私の誕生日のある月。定年退社まで、あと38日の始まりの月。節分がある月。それにしても、日本海側をはじめとして積雪が異常に多い。寒いだけならば我慢できるが、雪の事故は避けたい。家の玄関や窓から外に出れなくなるほど、今年の降雪は多いという。被災地では冷たい風も吹き続けているという。早く春が来て欲しい。
 一昨日に引き続き、きょうも午前中からソフトバレーの本の取材が6時間、昼食を挟んで続いた。昼食は、近くの明治大学本校ビル17階の学食に編集者2名を誘い採った。価格も安く、ボリュームもあり、2人は満足したようだ。午後は、取材の場所を喫茶店に替えてソフトバレー特有の技術の説明をした。中学生でも理解できるレベルで説明しようと考えている。
 次回は、来週月曜日に、また6時間ほど取材にくるという。今度は、どこで昼食を採ろうか?