2014年3月29日土曜日

Fri.March 28,2014 ASEAN情報の入手

ASEANとは、Association of South-East Asian Nationalの略である。日本語では、「東南アジア諸国連合」と称する。ASEANは、東南アジア10か国の経済・社会・政治・安全保障・文化に関する地域協力機構である。10か国とは、加盟順番にインドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、そして1999年に加盟したカンボジアの国々である。

域内の人口は6億人を超えており、5億人の人口を抱える欧州連合 (EU) より多い。2011年の加盟国の合計のGDPは2兆1,351億米ドルであり、日本のGDPの約36%の規模である。ASEANを一国家として見た場合、世界8位の規模を持つことになる。そして、ASEANは市場を一体化すること(一国家のように)で成長力を高め、中国に対抗する産業集積を構築しつつある。

そのASEANの中のある国に、近々私がバレーボールのコーチで行くかも知れない。準備はできるときに怠りなくやっておく、のが私のやり方である。色々な準備と並行して、かの国の経済状況をASEANという地域の中で少し学習しておこうと思い立ち、書店に行き最新刊を購入してきた。



購入してきたのが後藤康浩著『ネクスト・アジア』(日本経済新聞出版社)。今月の3月12日に出版されたばかりで情報が新鮮だ。文章も簡潔で読みやすい。購入した日に、半分読んでしまった。英語の学習もそうだが、自分に関係することはどんどん頭に入る。コーチングの英語や自分が住む国やその周りの経済に関しては乾いた砂に水が吸収されるかのようにスッスッと入っていく。これが学習法のコツだ。

昨日、ラオスから東京に一時帰国している日本語教師の奥様と電話で話をしていたら「渡邉さん・・・、自動車の交通量でその国の経済力が解るわよ」と言われていたが、この本にも同じようなことが書いてあった。

明日で、この本も読破するであろう。次は、宗教関係も読んでおきたい。








2014年3月27日木曜日

Thu.March 27,2014 Passport申請

海外に出るのは何年ぶりであろう。恐らく15年ぶりぐらいであろう。ミズノ(株)勤務時代は、途中入社した翌年の1980年のモスクワオリンピックに出張派遣された。その2年後であったか、こんどはメキシコシティーでのユニバシアードに出張となった。当時の私はフランス語はできても、スペイン語はできなかった。しかし上司は、「フランス語を訛(なま)れば、通じるだろう、つべこべ言わずに行け~」という具合で僅か4人の社員でロスアンゼルス経由で行った。

その後、行かされた国は、アルゼンチン、台湾、ハワイ州、香港、そして15年前のポルトガルのリスボンであった。全て全日本男子はじめ日の丸バレーボールチームであった。

リスボンでは、世界ユース女子選手権大会があり、私は全日本高校選抜女子チームに帯同した。成績は優勝であった。監督は八王子実践高校の菊間先生。その時のチームには、高校2年生で身長184cm、サウスポーの選手がいた。将来の全日本女子のエースと有望視されていた。藤好(ふじよし)さんである。彼女は茨城県の高校を卒業後、当時日本一常連の日立に入社して活躍した。・・・現在の彼女は、東京都ソフトバレーボール連盟に登録してソフトバレーをこよなく愛している。6人制よりソフトバレーのほうが奥が深くて、楽しい!と言っている。

リスボンから帰国の途に就いたとき、ちょっとしたハプニングがあった。出発する飛行機が遅れてしまい、ドイツのフランクフルト空港で乗り換える予定の飛行機が先に飛び立ってしまっていた。選手団の総務の先生が青い顔して、私のところに走ってきた。「渡邉さん・・・どうしよう?」

困ったときの渡邉という風評が、日本での合宿も含め、選手団と過ごした2週間でできあがっていた。ちょっと待て、ここは日本ではない、ドイツだ、さあ~どうする?とりあえず、カウンターに行って
フランス語でフランス人のように大げさにジェスチャーも付けて説明した甲斐があったか、代わりの飛行機に乗れるように手配してもらった。

「ナベ、良くやった!君はワシの席にここから日本に着くまで座らせてやる。そして、ワシが君の席に座る」と団長である全国高体連バレー専門部部長の又木誠八郎先生が仰った。ジャンボの2階席に行くと、団長の席は、なんとファーストクラスであった。お酒は飲み放題で席はフカフカ広々としている。スチュワーデス(今のCA)は美人過ぎる。そして、本来私が座るはずであった一般の3列席の真ん中で又木先生は女子生徒に挟まれてニコニコしてしている。しまった!団長の策にやられた、と気が付いたのは後の祭りであった。恐るべし又木先生。さすがに40歳代で神奈川県立高校の学校長に就任しただけある。

その又木先生も2年前にお亡くなりになった・・・。
(千葉県中央旅券事務所の入り口。千葉駅から歩いて5分のところのビルの中にある)

そんなことを思い出しながら、 今日は、千葉市にある旅券事務所に行ってパスポート申請をしてきた。意外と簡単に申請は受理された。4月4日以降に受け取れるということだ。

Wed.March 26,2014 週刊新潮の記事

きょうは、東京の吉祥寺に行き、30年間ほどアメリカでスポーツビジネスに携わってきたMr.Kにお会いして、最近の日本スポーツ界をどう見ているかお聞きした。Mr.Kは、日本のスポーツ界とも深い関係を持っている。ソウルオリンピック時から日本に戻ってきて、自宅のあるアメリカと日本の実家と行き来している。

彼は、日本のプロ野球、企業スポーツ(陸上、バレー、バスケ、ラグビー)、世界的なスポーツイベントに関わりスポーツビジネス界を支えてきた。

話題に出たのは今日発売の「週刊新潮」誌で報じられたスポーツ関連の記事であった。「教育者を養成する大学がやることではない。正義は亡くなった・・・。」Mr.Kは、頭を横に振り・・・ため息交じりに言った。「日本のスポーツ界が、この有様でしたら、今後も良くはなりませんよ・・・」。

2014年3月26日水曜日

Tue.March 25 面接

面接を終えた。

(面接の前に茅場町にある行きつけの床屋さんに行った。帰りにふと開花を待つ桜の蕾が眼に入った。桜の蕾も寒さの中でじっと開花の準備をしている。待っているのではなく、咲き誇るための準備を怠っていない。そのように私の眼には映った)


判定は、近いうちにメールで送られてくる。採用、不採用どちらでも、私は次のチャンスのために学習を継続し、準備を怠りなくする。

そこで、まだ持っていないパスポートを取得しておくことにした。申請して取得するまで、1週間ほどかかる。その後に、採用であれば、駐日◯◯国大使館でビザを発行してもらう。自分で車を運転することは滅多にないであろうが、国際カーライセンスも取得しておこう。

携行機材も消費税3%が上乗せされる前に購入しておきたい。健康で仕事を遂行して行くために、人間ドックで検査をしておきたい。虫歯はないが、クリーニングしておこう。準備項目を書き出したら、その他にもいろいろと出てきた。

契約書の内容をチェックするためには、国際的な訴訟問題での経験豊富な弁護士を探さねばならない。

2014年3月25日火曜日

Mon.March 24,2014 明日に備えて

明日は、ちょっと忙しい。

午前中に船橋市内の行きつけのお店に証明写真を撮りに行く。履歴書用、パスポート申請用、国際免許書申請用。昼食後、これまた行きつけの茅場町の床屋に行き、頭髪をすっきりさせる。

午後に、東南アジアでの男子バレーボールチーム監督の最終面接試験を受ける。会場は、東京駅の真ん前にあるビルの一室だ。面接して頂く面接官のお顔写真はインターネットで入手して、そのお顔を見ながら面接の予行演習をしておいた。

夜には、東京都体育館の会議室で東京都ソフトバレーボール連盟の理事会に出席する。

ソフトバレーボール愛好者の東京都交流大会へのチーム数増加のための施策はある。1つ参考になる記事が本日の日本経済紙面の対談にあった。対談者は、日本を代表する商社の伊藤忠商事社長の岡藤氏とエンターティンメントで時代を代表するヒットを重ねる秋元氏。秋元氏はご存じ”AKB48”の生みの親である。

対談の中には、これからの連盟がやらなければいけないことのヒントが沢山あった。一部を下に紹介したい。


秋元: 僕は大学の付属高校に通う17歳から放送作家の仕事をしてきて、40歳くらいまで勘違いしていたことがあります。例えば、テレビ番組を作る際、この時間帯の視聴者はこういう層だからと、常に相手側のことを思って作っていたんです。ところが40歳くらいになって、そういえば自分が作った番組を観(み)ないなと。まず、自分が面白いと思わないとダメだ、自分も大衆の一人なのだと気づいたのです。
岡崎: そういうクリエーターとしての発想は、商社がビジネスの仕組みを考える際の大きなヒントになります。
秋元: よくAKBのスタッフたちに言うのは、みんなの意見を聞くのはいいが、そこに縛られてはいけないと。みんなの想像を超えて裏切り続けることがクリエーターとしての信頼です。
岡崎: 裏切り続け一歩先を行くことが信頼を築いているわけですね。私たち商社も社会全体に役立つビジネスを創造することが大切です。一歩先を見て事業化しようとすると、やれリスクが大きい、前例がない、資金がないと周りから抑えられますが、勇を鼓して果敢に挑戦することが必要です。

2014年3月24日月曜日

Sun.March 23,2014 JVA審判規則委員会6人制実技講習会

昨日はJVA審判規則委員会審判長会議開催日であったが、当日の私の発言者としての出番はないので、私は旭市での講習会講師活動のほうに行かせて頂いた。そして、2日目の今日は、旭市から4時起きで電車を乗り継ぎ、会場である東京三田にある慶応中東部体育館に開始時間9:00ぎりぎりに着いた。朝の会議には、JVA審判規則部員20名とともに出席できた。

昨日の1日目には、JVA傘下の10団体(連盟)の審判規則委員長(私だけが欠席)と全国都道府県協会の審判長、更には全国8ブロック長が集合して、事業報告と事業案が示された。JVA羽牟会長も出席されたと聞いた。

2日目の今日も昨日と同じ内容で、2013年度の総括を指導部、規則部の各部長から報告、2014年度の事業説明が体育館内で行われた。出席者は、全国から見えたA級審判員約250名。昨年度活動報告書の受領も兼ねている。2014年度6人制のルール取扱い(国内適用含めて)関してはモデルチームに東海大と国士舘大の男子バレー部に協力いただき、出席者に確認して頂いた。

新年度に関して、ルール改正はない。現状のまま2016年のリオでのオリンピックまで現行ルールが継続される。リオ後に改正される予定のルールに関しては、例えば「タッチネットの反則なし」などはU-23などのヤング国際大会でテストされ、最終的にFIVB国際バレーボール連盟のルール委員会、理事会で検討され、決定される。

JVA 審判規則委員会のメンバーはじめ、全国のA級審判員の繋がりは強い。特に縦の関係は太い。これは審判員資格制度がFIVB公認審判員、国際審判員、日本国内でのA級、B級、C級、県公認とシステムがしっかりしていることと無関係ではない。

挨拶のなかで、水谷委員長も仰っていたが、ルールを良く知らずにプレーしているトップクラスの選手もいる。監督の中にも一部いらっしゃるようだ。日本協会や地方協会のほうから積極的に傘下の連盟やトップチームの選手・監督に対して研修会を催してほしいとのお願いがあったが、私も同感である。

ルールを熟知せずに、プレーや戦術は駆使できない。ましてやトップクラスとなればなおさらである。私であれば、トップクラスの選手に最低でもB級審判員講習会を受講していただくことを強化部に提案したい。この経験は、選手たちにとって必ずやプラスになると思う。また、審判員に対しての態度も抗議調のものはなくなると思う。如何であろうか?



2014年3月23日日曜日

Sat.March 22,2014 旭市ママさん都市交流教室・大会

春分の日の今日が教室、明日は開催地の旭市内のチームを中心に千葉県内のチームを招いての交流大会が旭市総合体育館で開催された。

教室の講師は、モントリオール金メダリストでエーススパイカーであった白井貴子さん。VプレミアリーグのFC東京男子バレーチーム所属で地域のママさんに出張コーチ活動をされている竹内さんと高橋さん。そして、私の4人である。

受講者はママさん100名。1:30〜5:00まで、内容を3部構成にして、①アップ・基本、②ポジション別に3コートに別れてQ&A形式でのコーチング、③6チームに別れてのゲームを行った。

教室終了後には、講師を囲んで地元ママさん連盟の役員さん達と夕食会。今日の打ち合わせを兼ねた昼食ではマグロの刺身に焼きカレイが出た。夕食では、カツオの刺身に金目鯛の煮付けであった。普段粗食の私の胃袋はさぞや驚いたであろう。

2014年3月21日金曜日

Fri.March 21,2014 市民春季ソフトバレーボール交流大会に出場

例年であれば、船橋市の春季ソフトバレーボール交流大会は4月に開催される。ところが、日頃使い慣れている市内にあるもう一つの運動公園体育館が改修工事で使用できないため、この日しか空いていなかった市内で一番大きい船橋アリーナで開催された。

今日が春分の日で明日の土曜日と連休になるためであろうか、参加チーム数は例年の半分程で、コート数も8コートあれば足りた。

私の出場した混合38歳以上の部に我が「大穴クラブ」は、2人が50歳前後、残り4人が61歳以上の6人でチーム編成してゲームに臨んだ。

結果は、5試合全てストレート勝ちであった。私は、いつもの調子で可もなく不可もなくであった。他の5人のレベルが向上していたことに驚いた。特に先月の関東大会(60歳以上の部第三位)に出場した女性メンバー2人が安定していた。やはり、日頃高いレベルでの練習や試合に出ていると読みが良くなる。

5試合行っての心地よい疲労感を覚えながら、明日のママさんバレーボール(100名)教室のある千葉県旭市に前泊のために車で向かった。

Thu.March 20,2014 面接日の連絡があった

東南アジアの国での男子バレーボールナショナルチーム監督募集に昨日応募した。本日、先方から直ぐに連絡があった。書類審査はパスしたようだ。そして、来週には、先方の国の関係者と面接して頂く、という連絡内容であった。更に、先方の条件も改めて提示された。

面接で、私が伺いたいのはチームの目標である。私が推察するに、東南アジアの国々の強化目標は一部の国を除いて、オリンピック出場ではなく、当面はSEAゲームでのチャンピオンを目指すことであろう。

2年に一度開催されるSEAゲームとはSoutheast Asian Games のことで、南東アジア大会と訳される。出場する国々は、ASEANアセアン加盟国である。昨年はミャンマー(旧名:ビルマ)で開催された。大会の注目度は、伝統あるアジア大会に引けを取らない規模であったと日本経済新聞で報道されていたことを思い出した。また、以前は大会スポンサーとして韓国企業が多かったが、最近は日本企業の方が多くなったとも報じられていた。

ASEANは経済的に見ると、後開発途上国を含む中進国が多い。シンガポールはその中でもトップの経済的に発展している国である。更には、日本の産業が集積しているタイ、そしてベトナム、インドネシアなど21世紀は優良な人的資源を有するアジアと豊富な自然資源を有するアフリカの世紀になるかも知れない。

アジアの世紀。日本がダイナミックに動き出した南アジアの中で貢献できることは多い。経済はもとより、保健衛生分野、文化交流そしてスポーツ交流などは日本が得意とするところである。私もその流れに身を委ね日本人をアピールさせて頂く。

2014年3月20日木曜日

Wed.March 19,2014 東南アジアの国での指導のお話が

先月来、ラオス共和国在日大使館職員にメールを送っているが、返信がない。そんなおり、昨夜、実業団バレーボールの元監督から連絡があり、1年の期間で東南アジアの国の男子ナショナルチーム監督募集のお話があった。プロ指導者としての活動になる。

家内とも相談して、応募することにした。早速、履歴書と実績書をその方にパソコンから送付した。やるからには、強化と指導普及も合わせて任せて頂きたいと考えている。 1年という短期間で驚異的な飛躍はさほど期待できない。この期間に中長期の強化と指導者養成・育成のシステムを構築したい。私の後任には、しばらく日本人を推薦して継続的に日本バレー界と関係性を持続して行くことが成果に確実に結びつく。国内各地域の指導者育成には、私の古巣の青年海外協力隊から毎年数名既に派遣されているので、彼らと連携して行くことで、更に効果が上がって行く。

インターネットでその国におけるスポーツを調べてみると、バレーボールはサッカー、格闘技に次いで人気がある。観光客が撮った空き地でバレーボールをやっている画像も結構ある。下地もあるようだ。面接までに、その国の歴史、文化、経済、宗教、伝統などを学習しておこう。

日本的なバレーを単純に導入してはならない。その国ならではのバレーボールのあり方をそこの協会と一緒に探って構築して行きたい。強化の内容は同じでも方法論は違ってくる。引き出しは多い程よい。指導者の指導方法論の引き出しが少ないと行き詰まってしまう。

こんな話を聞いたことがある。実業団バレーで日本一を10回以上成し遂げたある高名な監督が地元の教育委員会から請われて市立高校女子バレーの監督に就任した。その監督の方法論は今までの実業団バレーの指導方法同様に指導して行った。しばらくして、選手達から拒絶反応が出た。情熱はあっても女子高校生とマッチングしなかったのです。その監督は、今まで選手達から自分の指導を拒絶されたことはないので大きなショックを受け、それが元で神経を病み、高校を去ったと聞いている。

私も20代には、そのような挫折をたくさん経験した。その時に立ち直るきっかけを与えてくれた先生は、指導している生徒達や子供達であった。教え、教えられ、であった。幸運だったのは、会社の仕事を通じて、指導者育成のベテランである日本バレー界を代表する指導者の先生方が身近にいらして相談にのって頂いたことである。特に、当時高校女子バレーの重鎮であった中村高校の渡辺泰行先生からは日本バレー界の歴史を始め沢山教授して頂いた。ご自宅に何度も足を運び、親子のように親交させて頂いた。

久しぶりに長文となってしまった。さて、南アジアの国での指導はどうなるのか・・・。


2014年3月19日水曜日

Tue.March 18,2014 日本バレーボール協会事務局へ

今日は、午後からJVA(公財)日本バレーボール協会に行った。私の古巣であるJOCV日本青年海外協力隊事務局の体育スポーツ担当職員を紹介することになっていた。

1月から私はJOCVに参加したバレーボール隊員OB・OG会の設立に奔走していた。そして、今日は、そんな活動が古巣のJOCV事務局につながり、JVA事務局の事務局長とJOCV事務局員の会談の場をコーディネート(調整)することになった。

会談では、JOCV側の要望をJVAが快く承諾して頂き、コーディネーターの私も一安心。

夜は、我がソフトバレーボールクラブで練習。今夜は会場となっている船橋市立大穴中学校の20歳代の男女教員4名が練習に参加しに来た。これからも時々来てくれそうだ。




2014年3月17日月曜日

Mon,March 17,2014 春か?

昨日から気温がぐんぐん上がって、今日は15度。4月の暖かさだ。

コートはいらない。定年後2年延長していた健康保険(社保)を国民健康保険(国保)に切り替えるために愛車の自転車に乗って市役所まで出かけた。

4月は、もうすぐそこ。Vリーグも佳境。社会人には異動の時期。もうすぐ内示がある。入社式の時期でもある。学生は進級、進学、入学。消費税も上がる。歩みは止まらない。

明日は、JVA事務局に行く。

Sat.March 15,2014 日本ソフトバレーボール連盟の理事会・代議員会

今年の代議員会では、珍しく、私に対して質問が皆無であった。例年であれば、連盟の審判規則委員長である私に対して、今年度のルール改正について、あれこれ質問の手が上がるのであるが、全くなかった。

理由はある。改正点に対して詳細な解説文を資料として配布したからであろう。更に、改正点だけのための「Q&A」も作成して配布した。文章もわかり易くした。わかり易いとは、中学生が理解できるレベルのことである。

Q&Aの構成も工夫した。昨年までは、愛好者から多く寄せられた質問をなるべくそのままの文章で質問欄に載せていた。実は、これが回答をわかりにくさせいることに気付いた。そこで、質問者の質問の意図を曲げることなく、単純明快簡潔に整理して新たに質問文を構成した。これで、回答文がすっきりした。

代議員会が終了して、懇親会となった。実は、この時間帯に質問に見える各都道府県の理事長さんが多い。「代議員会で、こんな基本的な質問をするのもどうかと思って、今ここでお聞きするのですが・・・」。いやいやどうして、なかなか良い質問が多く、私も勉強になる。

Fri.March 14,2014 ママさんバレー定期練習

午前中は、全国を目指すママさんチームに指導。テーマは攻撃的なサーブとチームプレーの2つ。

2週間前に、このチームの招待試合を観戦した。相手チームへのサーブがコート中央に寄っている。コート中央には、一般的にレシーブの得意な選手が構えている。

なんでコート中央に打っているんだろう?練習ゲームなどで、敢えて相手チームの上手な選手にサーブを打ち、相手チームの攻撃力を引出し、こちらはブロックの練習を行うやり方がある。ママさんで、そこまで戦術的にゲームの中で行っているチームは見たことがない。

ということは、無意識にサーブを打っているということになる。そこで、この日の練習は、サーブ練習からスタートした。ストレートのショート(ネットから3m未満への短いサーブ)とロング(エンドライン際へのサーブ)を交互に打ってもらった。ポイントである、腕のスイングをボールに触れた瞬間に止めたり、触れている時間を長くしたり、更には体重移動を使ったり、ボールの軌道のトップをどこに持ってくるのが良いのか、説明を入れて1人30本は打ってもらった。サーブレシーブも付けた。

サーブで相手攻撃陣を弱めることができれば、ゲーム展開も楽になる。「サーブはゲーム最初の攻撃!」ということを何度も説いた。

夜は、幼稚園ママさんチームから、子供たちが卒園するので、新たにクラブチームを創ろうというママさんたち達の練習に向かった。今夜は6人であったので、3対3のゲームをミニコートで行った。ボールがパスされる前に、そのパスをもらう(受ける)人が素早くボールを受け取る位置に移動することボールを余裕をもってコントロールすることになる。フォーメーション、カバーリングは約束で成り立っている。個人練習はほどほどの60点で良いので、このようなチーム練習を沢山やったほうがゲームにすぐ慣れてくる。

2014年3月13日木曜日

Thu.March 13,2014 大学の図書館でアルバイト

昨日と本日、都内にある私立大学の図書館でアルバイトを行った。といっても、司書の資格を持っていない私であるから、カウンター業務ではない。そこの大学の亡くなられた名誉教授のご自宅の書庫から寄贈された書籍を大学の図書館に移し「〇〇文庫」と称し、保管するために書籍や資料を移動するお仕事である。

書籍の数は、なんと800冊!そして、本は重い!ちょっとした筋トレになってよいかなと思い引き受けたが、筋トレどころか肩周辺の筋肉はパンパンに張りつめ、腰から背中にかけて違和感がある。

それでも、その名誉教授が、数十年かけて集めた書籍や資料を見て、学者の思いを垣間見ることができた。私も何もない部屋にいるよりも書籍に囲まれている生活のほうが心が和む。

最近は、紙の本を読む時代から、ますます電子書籍の時代になりつつある。確かに電子書籍は端末さえあれば重い本を持ち運ぶ必要はない。何冊も持ち運ぶとなったら重くなり大変である。しかし、私は紙の本のほうが好きだ。書き込みするのも私の癖であるが、それで一層理解力が増すように私は思っている。また、書籍の本の背表紙を読むだけで、どこに何が書いてあるかもわかっているので、時にはインターネットの検索より早い。

そして、インクの匂いが良い。古本には古本のその時代の匂いが感じられる。

私の家内に言わせると、我が家の7つある書架の本は単なる紙切れに見えるようである。恐らく、私の死後は、どこかの大学の図書館に寄贈され「渡邉文庫」で保管されることなど決してなく、週に1回巡回する市の紙類収集車で処分されることであろう。

であれば、これから数か月かけて、本当に手元に置いておきたい書物だけ置いて、残りは断腸の思いで、自分自身の手で処分していこう。

歳を取るということは、少しずつ身軽になっていくことなのでしょう。最後は我が身1つで旅立とう。

2014年3月12日水曜日

Tue.March 11,2014 大震災から3年

あの日から3年経った。

あの日、私はお茶の水にある本社にいた。揺れは長く続いた。揺れが収まった後でも頭の中で揺れは、しばらく続いた。社内のTVでは信じられない出来事が起きていた。都内の電車は線路の点検や余震への警戒で全く動かなくなった。社内の食堂にある休憩室で一夜を明かすことになった。携帯は通じない。西船橋の家族の安否も取れない。

朝になって、総武線が動き、自宅に戻った。TVでは、福島の原子力発電所が被災したことを繰り返し報道していた。

私の住む千葉県内でも被害者が出ている。行方不明者、死者が24名。そのうち旭市では16名が津波の犠牲になった。旭市には家内の実家があり、バレーボールの仲間がいる。

3年経った今でも原発から漏洩した放射線の除染作業は終わらない。福島県伊達市職員の友人は、毎日、防護服に身を包み除染作業に携わっている。大変な苦労である。今月は異動の時期である。役所の中で苦労を分かち合うことはできないものであろうか。別部署へ異動させてあげたい。

復旧は終わっていない。復興はまだまだ先だ。

2014年3月11日火曜日

Mon.March 10,2014 今日はコーディネーター

スポーツ指導の分野で、私の得意とするところの1つに「コーディネーション・トレーニング」がある。一言でいうと、バランス・リズム・タイミング・チェンジ・リアクション・スペース(空間)把握などの各能力を身に付けることで基本技術の習得スピードを高めることにある。

きょうは半日、そのトレーニング指導ではなく、スポーツ関係の組織と組織のコーディネーターとして携帯電話、FAX、パソコンを駆使していた。

ある組織の要人と別の組織の要人を対面させて、お互いにwin-winの関係(共存共栄)を形成して頂くのがコーディネーターの任務である。スポーツにおけるコーディネーショントレーニングとの大きな違いは、「利害関係」であろう。お互いに「利」がありそうであれば、会ってみるかと思うであろうし、「害」がありそうであれば、時間がもったいないと判断し会ってみることもない。

幸い、今回の顔合わせは、お互いに「利」もあり「義」もあると思って頂いたようで、来週に僅か1時間であるが可能になった。良かった・・・。

Sun.March 9,2014 ミックスフリー・ソフトバレー東レカップ

第6回交流大会は、東京都町田市総合体育館に開催地を戻して昨日からの2日間行われた。過去最高の45チームが、北は宮城から南は山口の14県から集まってきた。

年齢は20歳以上のフリーである。20歳以上であるから、参加チームの中には平均年齢が50歳超のチームも数チーム見受けられる。

フリーの交流大会というと、20歳代、30歳代の若い人たちが圧倒的に多い。そして、時々耳にするのが「若い奴らはマナーがなっていない」という声。しかし、実際の彼らは、ソフトバレーボールが大好きな素直な若者たちである。

もし、彼らのマナーが悪い、というのであれば、それは我々ベテラン達の悪いところを真似しているだけだと思う。私は、過去18年、全国各地でソフトバレーボール・リーダー養成講習会を講師として務めてきた。その活動の中で、理をもって諄々と説き、我々ベテランが模範を示せば、若い人たちはすぐさま吸収してくれる。

全国大会開催の意義の1つには、出場されたチームが、全国大会で経験してきた、見てきた、知ったことを地元に帰り他の仲間に伝えることでソフトバレーボールの在り方が更に広まっていくことにある。

この年齢がフリーで男女混合4名で行う交流大会を今後どのように育てて行くかが、主催者の東京都ソフト連盟の課題の1つである。

2014年3月9日日曜日

Fri.March 7,2014 ソフトバレーチーム創部の相談を受けて

ソフトバレーボールチームを創りたいのですが、相談に乗っていただけますか?

3週間前に、そんな相談を受けた。ついては、上野まで出て頂けますか?相手の電話の主が初対面であれば、まず私は行くことはない。電話の相手は、私が良く知っている高校バレー名門チームの父母であり、3回ほどお会いしていたので、出かけた。

チームを創りたいというのは口実で、要は一杯飲みながら世間話でもしませんか、と思っていた。ところが、相手は大真面目であった。練習場所は江戸川区になりそうなので、東京都ソフトバレーボル連盟に登録することを勧めた。4月12日(土)15:00~東京都体育館大会議室にて総会があるので、そこで説明を受けて登録手続きをしてください、と説明した。

その後は、とりとめのない話題で盛り上がった。

東京都ソフトバレーボール連盟は昨年、副会長に元全日本女子監督の岩本洋さんを迎えて連盟を更に活性化しようとしている。私も常任相談役で微力であるが協力している。

2014年3月6日木曜日

Wed.March 5,2014 英語でコーチング

2年前より、英語でバレーボールの指導を行っている。対象はアメリカ人女子中学生。東京アメリカンクラブという社団法人が運営している施設で週2回の指導を行っている。

12月からの2月までのウィンターセッション(冬季)は受講者が少なく、休講にした。スプリングセッション(春季)の受講者を事務局が都内のアメリカンスクールに働きかけて現在募集中だ。

その2年間の中で、私なりに「英語でのコーチングの言葉」を集めてきた。コーチングの技術はもとより、それを伝える言葉が重要だ。対象がバレーボール経験者の大人であれば、バレーボールの専門用語もある程度知っているので意思疎通はやりやすい。しかし、相手が子供の初心者であると、日本人の子供もそうであるが、コミュニケーションが難しくなる。アシスタントにアメリカ人のティーチャーが付いていれば、良いのだが、私の場合は原則、私一人である。

それでも、関係者に助けられて1年で要領がわかってきた。教えることは学ぶことである。フランス語であれば、考えるより先に言葉が出るのであるが、言語(言語語族)が違うと脳の回路も回線ができるまで少し時間が要るようだ。言葉は、指導の定型文を覚えてしまえば、あとは日常会話で十分だ。そんな「指導の場面での定型文」を先月から整理し始めている。現在26ページになった。図やイラストを追加すれば40ページにはなるであろう。

これから、私が英語圏でコーチングを行う際のハンドブックになるであろう。また、これから海外でコーチする後輩諸君にも参考になるように編集している。

 

2014年3月5日水曜日

Tue.March 4,2014 春のスポーツ交流大会に向けての始動

4月になると、各種スポーツ交流大会の幕開けとなる。

私の住んでいる船橋市でも、4月になるとソフトバレーボールの春季大会、ママさんバレーの県春季大会が始まる。きょうは、船橋市アリーナに県内のママさんチーム8チームが集まり、2ブロックに分かれてリーグ戦を行った。

主催は、県大会では常に上位に進出する船橋さつきクラブさん。参加チームも県内で全国大会に出場している県上位チームばかりで、なかなか見ごたえのあるプレーが随所で展開された。私が月1回アドバイスしている船橋市のNチームも出場しており、時折アドバイスした。

私がアドバイスするのは、9人制の戦術(タクティクス)。Nチームは、他のチームと比べて平均年齢が年々高くなってきている。再度、全国大会に出場したいという目標を持っているが、新人はここ2年間入部していない。つまり、体力勝負になってきている。40歳代半ばごろから目立って反応スピードが落ちてくる。そこのところを戦術で補おうとしているが、戦術の基本はスキル(巧みな技能)と体力。ママさんにはコート上で体力作りする時間はない。自宅でスクワットなどやっていただく。月1回私が指導の時は、練習内容は応用が主となる。

夜は、我がソフトバレークラブの練習。私は、先週、62回目の誕生日を迎えたばかりだが、私自身も年々瞬間的な反応の遅れに気づいている。対策としては、スプリットステップを取り入れたりしているが、日常的に取り入れられる簡単で効果的なトレーニングを考えだしていきたい。

Mon.March 3,2014 最近、東南アジアへの関心が高まってきた

先月ラオスの首都ビエンチャンで日本語教師をなさっている昔の上司とスカイプ(無料電話)で連絡を取り合ってから、東南アジアの国々の記事に以前よりも注意が行くようになった。
 
土・日は朝から夜まで日本バレーボール協会主催の全国指導普及委員長会議で新聞は朝刊も夕刊も目を通していなかった。本日、3月1日土曜日の夕刊を手に取ったら、「日本語教育、ASEANに3000人派遣 五輪へ交流 」の見出しが目に飛び込んできた。
記事は・・・
「政府は東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟の10カ国と、文化やスポーツの交流事業を拡大する。4月に事業のまとめ役となる「アジアセンター」を立ち上げ、まず2020年までに日本人3000人以上を各国の日本語教育機関に送り込む。6年後の東京五輪をにらみ、ASEANに対する日本の情報発信力を高める。
 今回の事業は昨年12月に都内で開いた日ASEAN特別首脳会議で、安倍晋三首相が表明した「文化交流拡大」の具体策となる。・・・」
 
いよいよ、日本と東南アジアの交流が活発化される。それと並行して、中国、韓国との文化スポーツ交流も継続していく必要がある。東南アジアにおいて、隣国の中国、韓国とは適正な競争と協調をもって東南アジア全体の成長を支援していかねばならない。
 
バレーボール競技においても、中・韓とはライバル国として「競争」しつつ、欧米に対抗するために東南アジアとして「協創」していくことを望みたい。
 
 
 

2014年3月3日月曜日

Sun.March.2 JVA全国指導普及委員長会議に出席

昨日から本日まで、東京の本郷のホテルにて日本バレーボール協会(JVA)全国指導普及委員長会議が開催された。

私は、千葉県バレーボール協会の指導普及委員長に就任する以前、18年前から、いや20数年になるか、この委員長会議に勤務先が協会のスポンサーという関係にあり、オブザーバーという形で出席をさせていただいていた。当時の委員長は大阪の吉原先生であった。会議が終わると「おい、行こう」と食事会に誘っていただいた。その後、委員長が豊田博先生、橋爪先生、成田先生、山根先生、現在の亀ヶ谷先生と引き継がれていった。

優秀で魅力のある指導者(コーチ)の養成と育成が、強化と並んで重要である。指導者の育成には時間がかかる。成果が出てくるのは、早くとも3、4年後である。

普及(人口拡大)にも時間は必要だ。そして、予算が必要だ。掛け声だけでは人は動いてくれない。マネジメントには「人・モノ・金・情報・価値」が必要と言われる。人が動けば、経費が掛かる。全くのボランティアで協力してくれる人は希少だ。お願いするこちらも交通費と食事代は出してあげたい。

初日の講義が終わって感じたのは、討議の時間が今の30分では少ないということ。せっかく、全国から委員長が集まっているのであるから、もっと共通の問題点・課題点を話し合いたかった。そこで、夜になって東北・北海道ブロックと九州ブロックの日本の端同士のブロックの委員長が20名ほど集まって懇親会ということにしている。場所は、会場近くの居酒屋。焼酎お湯割りのアルコール度合いが多くなるに従い、話の内容も濃くなっていく。

会をお開きにして、千葉県の私だけ電車で帰宅。他は、全員会議を開催しているホテルに宿泊。

2日目。元全日本男子監督の植田さんが来てくれた。現役監督時代の失敗談が印象に残った。この人は真面目で正直な人なんだな、とすぐ分かった。講義を終えた植田さんと名刺交換をして、少し話をした。ワールドカップで対戦したチュニジアの

Fri.Feb.28 チュニジア女子が世界選手権大会に出場決定

FIVBのホームページを見ていたら、チュニジア女子が世界選手権大会に出場するという最新 ニュースがあった。

チュニジアで私が最初に指導したのは男子ナショナルチームであった。1年後には女子のチームも実は指導していた。アラブ人女性に日本人で最初にバレーボールを指導したということになるのかもしれない。チュニジアは私がコーチで派遣された38年前の当時から一夫一婦制になっており、若い女性は、ファッションもイタリア、フランスが目と鼻の先ですぐ近くということもあり、ヨーロッパと変わりなく、近隣のアラブ諸国の女性のスポーツ環境とも全く違って自由快活であった。

当時の練習は、男女とも外であった。体育館で練習できるのは月に1回ぐらい。サーブは、風の影響で凄い変化がかかる。地面にフライイングレシーブを行うと膝などが擦りむいて痛いので、なるべく飛び込むようなレシーブはしない。

あの頃の教え子の女性たちの容姿や名前は今でも覚えている。なかには、アラブ人特有の目鼻立ちパッチリしたクレオパトラのような美人もいたり、東洋人に近い丸顔の女性もいたり、肌は私より白かった。皆さん、今では孫やひ孫に囲まれているのでしょうね。


チュニジアは決定戦でアフリカでは強国のケニアをケニアの首都ナイロビの会場で、つまりアウェイの状態でしかもフルセットをものにしての薄氷の勝利であった。世界選手権大会には3回目の出場である。世界選手権会開催国のイタリアに応援に行きたいね~。