2015年6月29日月曜日

28,June 2015 Go for Tokyo Olympic Games

突然ですが、目標を修正します。

第28回東南アジア競技大会を終えて、17日にシンガポールからプノンペンに戻ってきたときは、2年後(開催国:マレーシア)の目標として決勝戦に進むことを考えていました。そのことは、決して不可能ではないことを、今回の大会に出場して思いました。

そして、きょう、その目標を修正することにしました。短期目標は、2年後に東南アジア競技大会で銀メダル以上。そして中期目標は、2024年東京オリンピックにアジア地域代表で出場することです。日本は開催国ですからアジア予選には出場せずとも開催国枠で出場します。私としても、日本と予選会を戦わなくともすむということは、日本人としてありがたいことです。

日本を除いたアジアでのライバルは、次の通りです。イラン、オーストラリア、韓国、中国。いずれのチームも強敵です。今、カンボジアが彼らと戦っても、セット平均12点取るのが関の山でしょう。

では、国際バレーボール連盟の国際ランキング表にも載らないようなバレーボール発展途上のカンボジア男子バレーボールが、あと4年でアジアでトップクラスに上り詰めることができる根拠は何かということです。

マネジメントにおける経営資源である人、モノ、金、時間、情報、そして価値という観点で述べてみます。

まず、「人」です。カンボジアの選手の身体的特徴で、他のアセアン諸国の選手と比べて際立っているのが、手足の長いことと瞬発力のあることです。今回のナショナルチームに選びたい選手は他にも結構いました。私が彼らを指名しても、連盟内の諸般の事情で、彼らは最終選考会で承諾されませんでした。例えば、21歳で197cmのミドルブロッカーが国内にいるのですが、彼がナショナルチームに入っていれば、今回の東南アジア競技大会での成績も一つ上に上がっていたかもしれません。つまり、銅メダルを手中にしていた可能性は大であったと言えます。

このようなことは、大なり小なり、どこの国の連盟・協会にもある問題です。大事なのは外部よりも内部を固めることです。崩壊するときは、外からではなく、内からのほうが脆いものです。

他の経営資源については、おいおいと述べて行きます。

要は、ASEAN11ヵ国でチャンピオンを目指すという小さな目標では、カンボジア国内が一つにまとまらないのです。アジアのチャンピオンを目指すという目標が彼らを一つにする、と私は信じています。

彼らは私にこう言うでしょう。

「Mr.Watanabe,・・・それは不可能です。それは夢物語です」

それに対して私は答えます。
その答えは・・・わたしのことをよく御存じの皆さん方には、良くお分かりであると思います。

2015年6月28日日曜日

27,June 2015 報告書の作成

先週から、東南アジア大会報告書の作成を行っています。

この報告書を基にして、次の1年、2年後の東南アジア大会、そして8年後の2023年にこの国で初めて開催される国際大会である東南アジア大会に向けての強化策の概要計画(マスタープラン)を作成しようと考えています。

従って、7月は、国内各地で開催されているレオカップ(タイのレオビアという飲料会社がスポンサーの賞金大会:決勝大会は8月末に開催)の予選会の視察出張と計画書作成の月になりそうです。

2015年6月24日水曜日

24,June 2015 日常が戻ってきた

シンガポールから戻ってきて、1週間が経ちました。

今月は、色々ありあました。私事で日本に3日間一時帰国し、翌日は東南アジア競技大会出場のためにシンガポールに飛び、先週の水曜日にプノンペンに戻ってくるという、ひと月の内に国際便に4回搭乗したのも初めての経験でした。

実は、この1週間の間にも、カンボジア日本人会主催の球技大会の準備と当日の運営、ACEというオーストラリア政府が後援している英語専門学校の進級テストも受けていました。1年間有効の長期ビザを再取得する手続きも行いました。

失敗もありました。NOKIA製の携帯を紛失して、新たに同じ番号で新たな携帯を購入するという余計な出費($22)もしました。

そういうことで、なんだかんだで、カンボジアでの2年目を迎えたようです。今後とも宜しくお願い致します。





23,June 2015    Who is New President of the Japan Volleyball Association?

日本バレーボール界を牽引していく新会長が本日決まりました。

日本バレーボール協会から発表された全文は以下の通りです。なお、新会長である木村さんの画像は、わたしが最新のものを添付させていただきました。

公益財団法人日本バレーボール協会 新会長および新業務執行理事について

2015.06.23
公益財団法人日本バレーボール協会は本日6月23日(火)に2015年度第3回理事会(臨時)を開き、本日23日(火)付で、木村憲治氏の会長就任が決定いたしましたのでご報告申し上げます。

◆公益財団法人日本バレーボール協会 会長、業務執行理事
氏名
(ふりがな)
現職
役職
木村  憲治
(きむら けんじ)
一般社団法人日本バレーボールリーグ機構(Vリーグ機構)
代表理事会長
1968年メキシコオリンピック 銀メダリスト
1972年ミュンヘンオリンピック 金メダリスト
会長(代表理事)
事務局長※
プレジデンツオフィス担当※
下山  隆志
(しもやま たかし)
公益財団法人日本バレーボール協会業務執行理事
同 国内事業本部本部長
業務執行理事
国内事業本部本部長
国際事業本部本部長※
宮島  淑行
(みやじま よしゆき)
公益財団法人日本バレーボール協会
  M&M(マーケティング&マーチャンダイジング)事業本部副本部長
業務執行理事
M&M事業本部本部長
桐原  勇人
(きりはら はやと)
公益財団法人日本バレーボール協会
  ビーチバレーボール事業本部副本部長
業務執行理事
ビーチバレーボール事業本部
本部長
※当面兼務いたします。

また、強化事業本部は下記の通りとなります。
氏名
役職
荒木田裕子
強化事業本部本部長兼女子ゼネラルマネジャー
小田 勝美
強化事業本部副本部長兼男子ゼネラルマネジャー

 昨日22日(月)付で新理事17名選任しております。理事の一覧は下記リンクをご覧ください。
理事・監事一覧

◆木村憲治会長 コメント

 日本バレーボールリーグ機構の会長を務めながら本会の評議員を務めてきたが、必死にボールを追いかけていた選手の頃からバレーボール界の発展に寄与すべく様々な考えを抱いてきた。日々の練習の積み重ねが大きな力になったように、スポーツ界に求められるコンプライアンスの強化や、バレーボールの価値の向上、バレーボールの競技力向上等に、地に足を付けてじっくりと取り組んでいきたい。そして、バレーボールの素晴らしさを1人でも多くのこどもたちに伝え、たくさんの夢を与えることができるよう、5年後に迫った東京オリンピックの成功はもちろん、その先の未来へ向け大きく、そして確かな一歩を踏み出すべく、新会長として次の3つの目標を宣言する。
 まずは、財政基盤の強化。2015年度も赤字予算が組まれており、5期連続の赤字見込みとなっているが、組織一丸となり赤字解消に向け、覚悟を持って全力で取り組む。
 2つ目は競技人口増加。大変残念ながら若年層の競技人口が減少している現状を改善するべく、「JVA・ゴールドプラン」をはじめとするバレーボール教室などの見直しをはじめ、普及活動に一層力を入れる。
 3つ目はナショナルチームの強化。バレーボール、ビーチバレーボールともに、東京オリンピックでのメダル獲得向けた強化のみならず、その10年先、20年先を見据えた若手選手の育成に取り組む。

 目標達成に向け、会長、業務執行理事のみならず新理事17名が互いに手を取り合い、組織一丸となり強い覚悟と決意を胸に組織を前進させていきたい。
                                                                      以上

2015年6月19日金曜日

17,June 2015  プノンペン市に戻りました

夕方のシルクエアー便(チャーター便)で、カンボジアの首都であるプノンペン市に戻りました。

プノンペン空港には、多くの市民が我々選手団を待ち構えていました。出口を出る前に、カンボジア・スポーツ省の大臣が選手一人ひとりに一輪のチューリップの花を手渡して我々を出迎えてくれました。なかなか粋な計らいです。

最初に出口を出たのはカンボジアに唯一の金メダルをもたらしたセパタクローの選手達です。彼らの顔は誇らしげです。出迎えたメディア、友人、ファンの人達も歓声をあげて大喜びです。後方の列から、私もそれを見て、2年後には必ず私の選手達にもメダルを首に下げさせて、その時には完成しているであろう新空港の出口から出ようと決意を新たにしました。

出迎えの車に乗る前に、私だけ地元TV局のレポーターに呼び止められ、質問されました。目の前にTVカメラがあるというのは、話しにくいものです。質問は英語でしたのでよく理解できました。質問の内容は、今回出場した感想、2年後に向けた抱負でした。次のように答えました。

「今回のSEA Gamesで選手達は良く頑張りました。1試合ごとに選手達の技術レベルが向上し、連携もスムーズに行きました。結果は、今までの最下位常連から出場国8ヵ国中、5位という過去最高の成績でした。課題は、国際試合の経験を積んでカンボジア国内のチームにはない高さとスピードのある高度なバレーボールに馴れるということです。優勝したタイや準優勝のベトナムとカンボジアのチームのレベルには、まだ大きな開きがあります。しかし、国際経験を積むことで、これからの2年間でその差は必ず埋まります。2年後のマレイシア大会では決勝進出を目指します」

日本語ですと、上のようになるのですが、英語ですと知っている限りの英語だけで簡潔に述べていますので、ほんの3分間ぐらいのインタビューでした。

2015年6月17日水曜日

16,June 2015 閉会式 Closing Ceremony

午前中に男子の決勝戦、そのあとに表彰式(victory ceremony)と続きました。そして、夜には閉会式に出席しました。

今回は3,4位決定戦がないので2チームが銅メダルを獲得しました。我々のチームもインドネシアに勝っていれば、初めてのメダル獲得となるところでしたので、少し悔しいですね。
(3年計画が実を結び、銅メダルを獲得した地元シンガポール女子チームのメンバーと入場行進を1時間待っていました。
美人の女子バレーの方一緒に写真を撮りませんか?と誘ったら、ブロック移動よりも素早くシンガポール女子チームのメンバーが集まった)
 

(光とスクリーン映像と音楽をミックスさせた斬新な手法で閉会式は行われました。観客は満席でしたので少なくとも4万人はいたと思います)

夜8時から閉会式に出ました。このような大きな国際大会の閉会式に出るのは、私にとっても初めてのことです。オリンピックなどの国際大会の開会式や閉会式には仕事の関係で観客席から見物したことは10数回ありましたが、自分が実際に行進して閉会式を楽しむことは初めてでした。

実は、我がバレーボールチーム選手団のなかで、閉会式に出なかった人間がスタッフと選手で計4名いました。私は、スタッフにも選手達にも、この大会に出場するに当たり次のように言っています。

「コート上のプレーだけが経験ではありません。飛行機に乗ることも、ホテル内での振る舞いも、英語を極力使うことも、他のチームの試合を会場で見ることも含めて経験です。そのような経験が積み重なって、バレーボールが上手になっていき、強くなっていくベースになるのです」。

閉会式に出なかった2名の選手は、私が昨年11月に、ナショナルチームの最終選手選考会で選ばなかった選手達です。理由は、上手なのですが、協調性がなかったからです。自分勝手なのです。最終的には、諸般の事情で、彼ら2名を大会直前の1か月前に若い選手と入れ替えざるを得なくなりました。そして、やっぱりというか、今回の大会の肝心なところで、彼ら2名はチームの足を引っ張りました。

カンボジアは、2年前の大会でも、更にその2年前も、常に最下位に甘んじていました。調べた結果、チーム内での不和が一番の原因でした。実力的には東南アジアのベスト4に次ぐ5-6番手の実力を持っています。しかし、試合中にチーム内でお互いに仲間のミスを責めあっていては、ネットの向こう側のチームに勝てるはずはありません。

結果に対しての評価は、監督としての私が受けます。良い評価が出れば、私はその理由を努力した選手達と支援してくれた連盟とファンの皆さんです、とメディアには言います。悪い評価であれば、内実がどうあれ、競技スポーツは結果で評価されますので私の能力の無さと認め潔く辞任します。


(国別メダル獲得表です。Cambodiaは金メダルが1個ですが、毎回、このレベルです。東南アジアのスポーツは、ここ40年間を総括してみますと、タイランドとインドネシアの2ヵ国に、10年程前からベトナムが加わり3強の時代になっています。シンガポールは、開催国の強みを生かして今回は金メダル獲得84個の第2位という大躍進でした。やはりメダルを大量獲得できる水泳(金27個)など個人種目に力を入れてきた成果です)

若い選手達は明るくて素直です。カンボジアでの練習環境を少しずつ改善しながら、国際試合の経験を積んでいけば、2年後の東南アジア大会(マレーシアにて開催)ではベスト4どころか、決勝戦まで進出する可能性もあります。

この大会期間中にシンガポール男子・女子両方の監督を3年前から務めてこられた成田先生(前東海大学教授、元JVA強化委員長)からは東南アジアのバレーボール諸般事情について詳細にわたりご教授いただきました。また、アジアバレーボール連盟の重鎮でありますMr.シャンリット氏はじめ役員諸氏からは温かい激励のお言葉を頂きました。彼等は、カンボジアバレーボール連盟の課題を実に良く把握していました。

現在の東南アジア地域で、日本人指導者が尊敬の念を持って受け入れられているのは、日本バレーボール協会が、過去にアジアのバレーボールの発展のために多大な支援をされてきた遺産であると思っています。

東南アジアで指導された日本人コーチは、1980年代のインドネシアを強化した三森さん(旧日本鋼管)、1990年代にはミャンマーのバレーの基盤を作った桧山さん(北海道バレー協会)、2000年代に入ってからはミャンマーを強化した松永さん(現国際平成大学教授)、そして3年前からシンガポール男女を指導され、今回女子に初めて銅メダルをもたらした成田先生(前東海大教授)がいらっしゃいます。

そして、派遣された国々の主に地方で地道な活動を続けてきているJICA青年海外協力隊バレーボール隊員がいます。東南アジアでは、現在ラオスだけに隊員が継続的に派遣されています。更に多くのバレーボール隊員が東南アジア諸国に派遣されるように私も活動しているところです。

日本人指導者は、アジア各国の中でその指導力を高く評価され、今でも招聘を求められています。但し、単なる技術指導力だけではなく、連盟運営や国内指導者育成の手腕も求められています。勿論、そこでのコミュニケーションは基本的には英語です。語学力も必須です。情熱だけでは短期の指導しかできません。短期の指導では、成果も直ぐに萎んでしまいます。短期であっても、継続的に、そして計画的に行えば成果はすぐには出なくとも、一定の評価はされます。 



2015年6月15日月曜日

15,June 2015  東南アジア大会もいよいよ準決勝戦と決勝戦を残すのみ

大会6日目。男子の準決勝戦2試合と女子の決勝戦が行われました。

男子準決勝(Semifinal)は、実力チームのタイランドがインドネシアを、ベトナムがミャンマーを、それぞれ3-0で勝利して進出しました。東南アジアでは、この4チームが近年ベスト4の常連チームです。これらに続くのが、マレーシア、フィリピン、カンボジアというところです。

明日の決勝戦は、大方の予想ではタイランドでしょうが、私は密かにベトナムに期待しています。ベトナムのセッターの顔立ちは、昨年全日本男子を引退したやはりセッターであった宇佐美さんに良く似ています。実は、ベトナムが優勝すると、ベトナムは我々と同じBグループなので、カンボジアの順位は5位になります。負ければ、6位です。

同じベトナムの女子がタイランドと決勝戦を行いました。1セットだけ観戦したのですが、タイ選手達は余裕での試合運びで3-0で勝利しました。ベトナムは、タイのサーブに相当崩されていました。タイチームには日本でもお馴染みのセッターのヌットサラ選手や今期日本のJTでプレーしたオヌマ―選手などお馴染みの選手達がプレーしています。オヌマ―は、今日の試合でチーム全ての得点75点中1人で25点を稼ぎました。小柄なスパイカーですが、パワーもありミスが少ない選手です。



タイの女子選手達は、各国バレーボール選手団と一緒に同じホテルに泊まって、食事の場所も同じです。彼女たちは、食事を済ませると無駄口をたたかずにレストランを出て行きます。比べて、我がカンボジア選手達は、食べられるだけお代わりして食べて、お喋りをして、ようやくレストランを出て行きます。

昨夜は、彼らが、カンボジアから持ち込んだ瓶詰の怪しげな菜惣を持ち込んで食べていました。どうも団長が持ち込んだようです。早速、レストランのマネージャーから注意されて、一時預かりとなりました。ここは、超高級ホテルですから注意されるのも当たり前ですね。私も恥ずかしい思いをしました。

そういえば、似たようなことを思い出しました。1982年に南米のアルゼンチンで男子バレー世界選手権が開催されました。全日本男子チームに仕事で私が初めて帯同したときのことです。当時の主将の蘇武選手の高校時代の恩師が応援に駆け付けてきました。スペイン語も英語もできないその先生を私はアシストしました。

ある朝食の時、先生が日本から持参してきた怪しげなインスタント食品を私に手渡して「阿部君(当時の名前です)、悪いが、これをお湯に入れてくれや」と言われました。スープのような粉末でしたので、大きめのカップにその粉末を入れてお湯を注ぎました。たちまち、そのカップから味噌汁の旨そうな匂いが、やはり高級ホテルのレストランンの中に充満しました。他のお客様たちは、小鼻をクンクンと嗅いで、なんだこの匂いは?みたいな顔をしています。

先生は、そんな異変に関係なく「やっぱり、日本人は味噌するだっちゃ、ガハハハ」と満足そうでした。匂いや香りに関しては、記憶は無くならないものですね。

14,June 2015  ベスト4ならず

試合前から、正直なところインドネシアにセットは取れても、試合に勝てる自信はありませんでした。


その根拠は、試合前のミーティングを行っても、選手達の反応が少ないのです。やはり、基本的な戦術を選手達は、まだ理解できないのです。複数の戦術でゲームを闘うという習慣が普段の国内の試合において少ないのです。その証拠に、ある国内トップクラスのチームは、どのチームと対戦しても同じ戦法で闘っています。従って、そのパターンを相手に読み取られれば、チームとしての機能が働かなくなります。

ナショナルチームを組んで5ヶ月ですが、相手のチーム毎に異なった戦術を説明すると、選手達は混乱してしまいます。従って、「こうしなさい」と図に書いて指示するしかありません。もっとも、こうしなさい、と指示しても選手達がその通りにボールをコントロールできるとは限りません。

良い例が、スパイクの基本的な個人戦術である強打と軟攻との使い分けです。強打と軟攻(ソフトスパイクやフェイント)のスパイクの使い分けは、相手の裏をかくことです。レシーバーの重心をずらせることでレシーブのタイミングを難しくさせることです。

1年前に私が監督に就任した時には、カンボジアのレシーブ練習にスライディングやダイブ(フライイング)の練習は皆無でした。つまり、ゲーム中に意図的なフェイントがほとんどないのでスライディングの練習をやる必要はなかったのです。また、床が木ではなく、コンクリート製やむき出しの土なので上手くスライディング(滑ること)できません。

個人としての戦術を駆使できなければ、チームとしての戦術を展開することは難しいでしょう。どうしても個人プレーになってしまいがちです。

選手達は強打が大好きです。フェイントで点数を取るのは男らしくないとでも思っているのでしょうか。今大会でも、トップチームはフェイントを効果的に使っています。カンボジアは空中でバランスを崩してもソフトスパイクやフェイントを使わずに強打を行ってアウトボールにして相手にポイントを献上しています。

試合直前のミーティングでも、ゲーム中の作戦タイム時でも選手達は集中して私の話を聞くことができません。その度に私は「Listen up!(良く聞きなさい)」と言うのですが、どうも彼らには集中して人の話を聞く習慣があまりないようです。ゲーム中と言えば、困ったことに、作戦タイム時には、団長が話に割り込んできて何やらベラベラ選手達に指示を出しています。選手達の頭の中は混乱していることでしょう。

なにか愚痴っぽくなってきましたので、もう止めます。きょうの試合の結果は、我がチームが0-3(25-21,25-20,25-20)でインドネシアに敗退しました。敗退の原因は、ミスの多さです。相手チームのミスが17点、こちらは30点です。声を出してプレーする習慣がまだ定着していないので、コミュニケーション不足によるミスが多いのです。そしてブロックです。ブロックはインドネシアが10本で我がチームは5本です。対等に戦っているのはスパイクとサーブレシーブです。サーブレシーブ返球率は57%で目標の63%に近づいてきました。ンインドネシアは、これで2勝1敗でベスト4に進出して、銅メダル以上を手中にして、明日は2007年以降、東南アジアでは負け知らずのタイと対戦します。

我がチームは1勝2敗でBグループ3位という結果でした。全体では出場8か国の内5位か6位でしょう。いずれにしろ、最低の目標である万年最下位から脱出できたので、ほっとしています。

今後の技術的な目標は、攻撃的で正確なサーブ力の向上とサーブで崩した後のブロッカーの判断、移動を迅速にして正しい空中フォームを作ることです。戦術的な目標は、基本戦術理論を選手達全員が理解できるようになることです。そして、それ以前の大事な規律で「時間を守る」ということです。

明日は準決勝戦の観戦、明後日は決勝戦の観戦、そして閉会式で行進して、翌17日にカンボジアに帰ります。選手達は良く頑張りました。褒めてあげて、解団しようと思っています。

2015年6月14日日曜日

13,June 2015 ゲーム観戦からも学習できる

今日は、ゲームの無い休息日でした。

午前中の練習時には、明日グループ2位をかけて対戦する同じ1勝1敗のインドネシア(東南アジアではタイに次いでの実力のあるチーム)対策を選手とともに確認しました。

1月からの合宿では、全員揃って練習できたのは僅か10日間ほどです。従って、これがカンボジアチームの特徴というものがまだできていません。作りたかったコンビはBクイックを絡ませた移動攻撃でしたが、2人のセッターのうち必ず一人は不在という練習日が圧倒的に多かったのです。連絡なしで休むのは普通という感覚です。しかし、他国の関係者に聞くと、こういうことは、東南アジアに共通のことのようです。

更に我がチームは、連盟から提案という形での命令が下されます。先月も選手の入れ替えがありました。どうも提案される方は、その方のお気に入りの選手を使って欲しいようです。こういうことは、どこの国でもあります。最初は、私もやんわりとその選手の必要性のない理由を述べて提案を却下しますが、あまり頑固になってもいけないので、最終的には彼らの命令的提案を受け入れます。そして、その提案は、ほとんど効果のない結果で終わっています。


2015年6月13日土曜日

12,June 2015  完敗でした(25-14,25-22,25-18)

相手が強い訳ではなく、我々が弱かったのです。

私は、相手が強ければ強いほど燃えるタイプの人間です。燃えるからと言って、だからと言って必ずしも相手に勝つわけでもありません。負ける場合がほとんどです。しかし、大事なのは負け方です。勝敗に負けても、闘争心は負けたくありません。

「臥薪嘗胆」という中国の故事から生まれた言葉があります。試合中に、戦っている最中に諦めてはいけません。諦めるのは、試合が終わってからです。今夜のベトナムとの試合中に全ての選手達は相手にリードされて床を見つめていました。声も出していません。相手にリードされたのは自分たちのミスであり、相手のファインプレーではありません。自分たちのミスは、自分たちの努力で削減することができます。

カンボジア人の弱さを今夜は初めて見ました。諦めが早いのです。普段は陽気なのですが、いざ自分が逆境に陥ると諦めが早いのです。仲間を励ますという習慣は、この国にはありません。自分のことで精いっぱいなのです。”One for All, All for one" というラグビー界の有名な言葉をある時、選手達に言いました。彼らは、理解できなかったようです。

諦めが早いということは、立ち直りも早いようです。試合に敗退して2時間後にホテルに戻って夕食時には、いつものお代わり3回の彼らに素早く立ち直っていました。私としては嬉しいような哀しいような・・・まあ、ジメジメしているよりは私は好きですね。

11,June 2015  次の対戦相手の研究

次の対戦相手はベトナムです。

予想していたよりも実力のあるチームです。日本の高校選抜男子チームよりも力はあります。特にブロックが良く、移動が素早く、空中での姿勢も安定しています。

対して、我が方は東南アジア地区でもブロック決定力がないチームです。昨年、カンボジアに来た時に国内のトップチームのほとんどはスパイク練習に時間を多く割いても、ブロック練習は皆無でした。指導者も選手もスパイク練習のほうが気分が良いので、つまらないブロック練習は形だけの練習になっていました。

相手のブロックを混乱させる攻撃戦術やブロックを利用する攻撃の練習は、まだ本格的にやっていません。ナショナルチームは国内各クラブからの選抜方式で作っていますので、まずは連携プレーに重点を置いています。個々の技術指導にまで行うには、時間不足です。

特にセッターの指導には時間がかかります。現在の20歳の第2セッターはサウスポーで身長が186cmありますので、常にボールを捉える位置をネット上端より上で捉えるようにジャンプセットを練習させています。次のレベルでは、視野を広げて、ボールだけ見るのではなく、スパイカー、そしてブロッカーを視野に入れてセットしていくことが大事です。

国内には、同じ20歳で190cmのセッターもいます。攻撃力もあります。私としては、この2人をツーセッターにして、リベロは使わず、常に攻撃者を5人にしようと考えています。1990年代のキューバチームの考え方です。スパイクが大好きな国民性にマッチした戦略と私は思っています。相手ブロッカー3人に対して攻撃者は5人であれば攻撃側が断然有利です。多少reception(サーブレシーブ)が乱れても、バックアタッカーは常に2人いますので、クイックテンポでバックアタックもできるでしょう。

おっと・・・将来構想は、これぐらいにして。明日のベトナム戦に備えて、もう少し研究してからベッドに横になるとします。

10,June 2015 勝ちました!

初戦のホスト国であるシンガポールに3-0で勝利しました。選手達にとっては、国際大会での初勝利です。

カンボジアは1970年のアジア大会出場を最後に、国際舞台から姿を消しました。その後、国内で内戦が勃発したからです。隣国ベトナムとの戦争もありました。国内は荒廃し、指導者である教師もほとんど虐殺されました。

カンボジアが国際社会に復帰し始めたのは1990年代後半からです。スポーツ団体も少しずつ息を吹き返し、国連はじめ世界各国、IOC、国際スポーツ団体の支援により現在に至っています。

昨年の韓国仁川アジア大会で、カンボジアがテコンドーで18歳の女子選手(184cm,68kg)が初めて金メダルを獲得しました。彼女は、カンボジアスポーツ再興のシンボルになっています。

次の試合は、12日、ベトナムとです。

09,June 2015 国際試合の経験

カンボジアの選手達に一番不足しているのは、国際試合の経験です。

この国に来て、最初にやったことは、なぜカンボジアのナショナルチームが東南アジア大会万年最下位なのか調査しました。バレーボール連盟役員に会ったり、国内のゲームを観戦したり、過去の資料をインターネットで探しました。

原因は、友好試合も含めて、国際試合をまったくやっていなかったのです。理由は、遠征費がないから、ということでした。遠征費が無ければ、遠征費を捻出するための連盟の努力が必要です。どうも、その努力が希薄なようです。

明日の初戦は、くじ運に恵まれて、17年ぶりに国際大会に復帰する開催国であるシンガポールと行います。この試合では悪くとも3-1で勝利して勝ち点3点を得たいと思っています。

今回の大会でのカンボジアの目標は最低でも1勝して万年最下位からの脱出とグループ内で2勝してベスト4進出。そして、選手達の国際大会での経験値を上げることです。1試合ごとに逞しくなっていくことを期待しています。そのためには、選手たちにはトップの試合も沢山見せます。高級ホテル(ツインで一泊1名2万円)でのマナーも覚えてもらいます。

いよいよ、スタートです。

2015年6月10日水曜日

08,June 2015 東南アジア大会(SEA Games)出発

東南アジア大会(出場国はアセアン諸国の11ヵ国)は、2年に1回開催されます。

今年は第28回目が、シンガポールで開催されます。我がチームのメンバーも早朝にプノンペン空港に集まりました。こういういざという時は、さすがに、のんびり屋のカンボジア人も遅刻しないことには感心します(やればできるじゃないか)。私も、集合時間の8時前には着いたのですが、選手達は1時間も前に着いていました。

先週、私は、選手達に、次のように言いました。

「遅れた来た者は、飛行機に乗れない。飛行機は時間に遅れてくる者を待ってはいないよ」。
この言葉が効いたのかどうかわかりませが、さすがに、この日は遅刻者は皆無でした。メディアも来ていて選手達は取材を受けていました。

航空会社はシンガポール航空の関連会社のシルク・エアーです。親会社がシンガポール・エアーで、東南アジア大会のスポンサーにもなっています。その関係でしょうか、お蔭で私の重量オーバーのスーツケースも無事通過しました。私のスーツケースには、私個人のモノよりも選手達用のメデイカルバッグや先週日本で購入してきたお揃いのソックスが1チーム分入っています。

そして、搭乗しました。シンガポールのチャンギ国際空港まで所要時間2時間ほどです。時差は1時間あります。気温差は2度ほどシンガポールのほうが低いので、過ごしやすいでしょう。

チャンギ空港に着き、初めて飛行機に乗ったチームメンバーの半数は、目を白黒させていました。ホテルに着くまでの道路には、信号機がほとんどなく、プノンペンン市内の渋滞に馴れている彼らは別世界にいるような印象を受けたでしょう。

自分たちの国を出て、他国を訪れてみることは、自国をよりよく理解するための良い経験になります。自分たちの国では普通でも、他国ではいけないことと言われることもあります。その逆もあります。比較することで、視野も広がって行きます。
(宿泊している市内のホテルは一泊ツインで6万円の高級ホテルです。周りもほとんど高級ホテルだらけです。食事はビュフェ(バイキング)スタイルで、美味しいものばかりで、選手達は、何とお代わりを3回もします。果物に関してはは、カンボジアのほうが断然安くて美味しいので、選手達はホテルの果物には、ほとんど手を付けません。

ホテルに着いて、まずはホテル内のトレーニングジム内で選手達には軽く汗をかいてもらいました。その後、ミーティングを私の部屋で開き、今後の予定を伝えました。ミーティングは日に2回行い、確実に連絡が伝わるようにしなければなりません。


(軽く40分ほどマシンを使って汗を流しました。普段の筋トレは、ほとんど自体重で行っているので、たまにはジムで行うのも気分転換になります)
今回の大会ではボランティアの人達が、約1万人活動しています。我々のチームにも世話役が1名付きました。40歳代の男性で名前がタンと言います。良く喋る男性ですので、英語のTang(舌)と語呂合わせで彼の名前を覚えました。私の名前の「ナベ」は、この国では、ありふれている名前なので「ワタベ」と呼ばせてもらいますということになりました。

シンガポール人の英語は「シングリッシュ」とも言われます。丁度、日本人の話す英語が「JAPANギッシュ」と言われるのと同じです。アクセントとか発音に独特の地方色があります。国が違えば、発音もその国の母国語に影響されます。ひと口に英語と言っても、世界には色々な英語があります。シングリッシュに馴れるまで、もう数日かかりそうです。


2015年6月8日月曜日

07,June 2015  日本に一時帰国してきました

2日に身内が他界しました。

そのため4日に日本の千葉の実家に急遽帰国しました。そして5日に通夜、6日に告別式と葬儀を執り行い、本日の夜にプノンペンに戻ってきました。

明日の朝は東南アジア大会出場のためにシンガポールに飛びます。荷物の準備は、先ほどほぼ済みましたので、明日早朝に再度確認してアパートメントを7時に出ます。

今回の一時帰国の際にソニー製の最新のビデオレコーダーを購入しました。プロジェクター機能も付いている優れものです。これで第2戦のベトナムの試合をじっくりと研究できます。選手達にも具体的に相手の強み・弱みを指示できます。

04,June 2015 カンボジアバレーボール連盟会長から激励

午前中にカンボジアバレーボール連盟会長から東南アジア大会に出場する男子バレーボールチームに激励の言葉を頂きました。

場所は、会長が職務を執っている国家警察庁でした。さすがにこの時ばかりは、練習時間にいつも遅刻している選手達も予定時間の20分前には集合していました。理由があったのです。その理由とは、会長からなんと金一封が頂けるからなのです。

8時に会長から激励のお言葉を頂き、選手一人一人が金一封(200㌦)を頂きました。コーチや団長も頂きました。私には・・・ありませんでした。残念・・・。


2015年6月3日水曜日

03,June 2015 壮行試合

ナショナルチームであるのに、この1年間で国際試合を経験したのは先月のベトナムチームとのわずか2戦だけです。

この国際試合経験の驚くほどの少なさが、本番でのミスの多さを招いています。まさしくそれが課題なのです。国際試合、特に他国(アウェイ)での経験が選手を逞しくさせます。常にプノンペンで練習しているだけでは、ひ弱な選手に育ってしまいます。

本日は、カンボジア連盟に先週から頼み込んで、何とか国内チームでもよいので練習試合(壮行試合)をやらせて欲しいと頼み込みました。そして、本日、国内第2位のチームと試合を行うことができました。

相手のチームには、昨年ナショナルチームの選考会に招聘した197cmのスパイカーがいます。喉から手が出るほど欲しい選手でしたが、当該チームの監督(タイ人)はナショナルチームにその選手を出してくれませんでした。連盟会長からお願いしてもダメでした。日本にはない複雑な国内クラブ間の絡みがあったようです。

彼がナショナルチームに入っていれば、東南アジア大会で初のベスト4以上入賞も十分可能です。

さて、審判団も連盟が揃え、本番同様に会場設定してくれました。観客もどこで情報を仕入れたのか300人ほどが集まっていました。ところが、集合時間の2時になっても我がチームの選手は2人しか集まっていません。招待した相手チームは1時間前から集まってアップしています。

最近、やっと時間を守るようになってきたかと思っていた矢先でこれです。ゲームは30分遅れでスタートしました。アップが不十分な我がチームは、案の定大苦戦して23-26で1セット目を取られました。2セット目からはメンバーを3人入れ替えてスタートしました。セッターには15点までクイックは使うな、と命じました。残り3セットは、相手チーム全て10点台どまりで勝利しました。我がチームは全員出場させました。

試合後、遅刻して相手チームを待たせたことに対して私の怒りは収まらず、早口でベラベラとまくしたてました。最初はクメール語で、次第に英語になり、最後には日本語になっていました。日本語でも彼らは私の表情と口調で何を言っているのか理解できています。

・・・今夜もビールの酒量が増えそうです。選手達は全員私にとって息子のようで可愛いのですが、彼らは信用できません。本来はコーチが基本的なこういう躾をやって欲しいのですが、アシスタントコーチも選手とあまり自己管理能力は変わりません。やれやれ・・・。

明日はカンボジア連盟会長の職場である国家警察庁長官室に選手と一緒に招かれています。本日解散する前に、約束の時間10分前には警察庁建物内に集合しておくように厳命しておきました。

厳命したその後に、私は誰かに確認します。「明日、何時までに集合と私が言ったか繰り返しなさい」。このくらい確認の確認をしないと私は落ち着きません。 

厳しいしつけも、彼らの将来のためです。

02,June 2015 同じ毎日はない

6月に入りました。

今年の日本の気候は、春が短かったようです。カンボジアの季節は二季です。つまり、乾期と雨季です。雨期と言っても、日中は日本の真夏日と同じく気温が高いのですが、夕方にスコール(短時間の雨降り)が来て気温が少し下がります。

1年で最も気温が高いのは5月です。日中は40度近くに気温が上昇します。太陽光は針のように皮膚に刺してきます。そして、6月に入ってから時折夕方にスコールがやってきます。いよいよ雨期に移行する時機到来です。

チームのほうは、毎日が驚きと発見の日々です。知らないことがまだまだ多いことを痛感しています。今朝は、東南アジア大会にいっしょに出場するバスケットチームと体育館で会いました。スタッフと会話するのは初めてでした。そして、わかったのは、監督の出身はナイジェリア人で、現在カンボジアに国籍を変更していることやスタッフ・選手にカンボジアと中国、香港、ヨーロッパの国々とのハーフが多いことでした。

道理で顔の骨格や体格がカンボジア人のように細くないと思っていました。平均身長は、我がバレーボールチームよりも5cmほど低い。バレーボールチームのほうが、この国では珍しく長身揃いなのです。